第六章 ミュセドーラス平野大決戦! 第百三十話
「何てこと……」
ワイバニア軍第九軍団参謀長フランシスカ・エンチェンスベルガーは色を失った。上からの攻撃は彼女の予測の範囲内だった。しかし、その規模は彼女の予想をはるかに超えていた。落石は先鋒四個大隊の半数を飲み込み、さらに侵入口の四分の一を塞いだ。数分の間、ワイバニア軍は動きを止めた。それは、彼らにとって、致命的とも言える時間だった。
「突撃!」
馬上から、マーガレットは手を振り下ろした。彼女率いるフォレスタル軍第四軍団の兵士達が狭くなった侵入口へと押し寄せた。槍兵が隊列を組み、立ち尽くすワイバニア軍に襲いかかる。戦いというよりも虐殺と言った方が近かった。
「まずい、後退だ。後退! 早くしな!」
マルガレーテは声を張り上げた。先鋒の残軍は我先に戦場を離脱しはじめている。眼前の惨状から何もかも放り出して逃げたいのだ。それはどの国の兵士達も同じ、血の通った人間であることの証明だった。
人であること。それは本来人間として当然とも言える気質であり、誇るべき性質であっただろう。しかし、こと戦場においては何よりも邪魔なものに変わってしまう。戦いがいかに愚かで救いようのないものかを物語る良い例と言えよう。
だが、さらに救いがたいのは、人としての良心や恐怖心を捨てた方が生き残る確率が高いという事実だった。
攻勢に転じたフォレスタル軍は統制を失い、散り散りになって逃げ惑うワイバニア軍に追いすがり、効率的で効果的な弓兵射撃と、槍兵の密集隊形による突撃で確実に敵を葬っていたが、わずかに残ったワイバニア軍数個小隊は攻撃を巧みに防ぎ、一時はフォレスタル軍の攻勢を押し戻すことに成功した。
「渓谷が狭いというのは奴らにとって最大の武器だが、それは我々にとっても同じことだ。味方が退却する時間を稼ぐのだ」
ワイバニア軍第九軍団第一歩兵大隊第三中隊長アルノ・ペルクセンは部下達にいうと、自ら陣頭に立って殿軍を指揮した。彼が率いる中隊は負傷兵を含め八三名、対するフォレスタル軍は三千名。あまりにも無謀すぎる戦いだった。しかし、彼は彼を含め部隊が全滅するまでの四十五分もの間、フォレスタル軍を足止めすることに成功した。
弓兵を放射線状に分散配置させ、火力の集中によって敵兵力に損害を与えた他、三度の歩兵突撃を行なうなど、彼は四十五分間にわたって、フォレスタル軍を翻弄し続けた。部隊の全滅という結末ではあったものの、寡兵でありながらも四十五分間戦場を支配し続けた彼の戦術は敵味方問わず激賞を受けた。のちに”ペリクセンの四十五分”とたたえられたこの戦いは、退却戦の範として、三国の士官学校の教本に載ることになったと言う。