第六章 ミュセドーラス平野大決戦! 第百二二話
「連隊長、置いていってください!」
「嫌……。もう、誰も失いたくない!」
弱い。こんなにも弱い女だったのか。アンジェラ・フォン・アルレスハイムは。レイの肩を抱く女は普段の上官とは真逆の人間だった。
今まで凛として威厳に満ち、どんな苦境でも堂々たる姿を見せていたアンジェラ。その背は大きく、輝いて見えた。しかし、今自分を背負っている彼女の姿はあまりに弱々しい。彼女を守りたい、その身を犠牲にしても。レイは決意を固めた。力を抜き、レイは全ての体重を上官にあずけると、彼女の細い身体はその重みに耐えきれずに大地に沈んだ。荒く息を吐くアンジェラを気遣いながらも、レイは耳を澄ました。蹄の音が大きくなっている。さらに敵が近づいているのだ。
「レイ、立て。立って……」
「おれは、ここまでです。連隊長と戦えて幸せでした」
「レイ、だめだ……っ! ん……」
反論するアンジェラの唇をレイは奪った。アンジェラの口の中で鉄の味がする。ほんのわずかな間だけ、アンジェラは副官に身を委ねた。唇を離した二人から赤い筋がたれる。レイは笑うとその場に倒れた。
「レイ!」
「はは、すみません。でも、最後にいいでしょう? これ、くらい……」
アルレスハイム連隊発足以来の腹心は静かに目を閉じた。
「レイ! だめだ! レイ……」
レイを揺すり起こそうとするアンジェラの耳に騎馬のいななきが聞こえる。レイを守り、戦う力も歩く力も残っていない。絶望を前に自失したアンジェラの鼓膜に小さく低い音が響いた。羽音の様な振動音。彼女が今まで聞いたこともない音だった。
転瞬、凄まじい風が彼女を襲った。とっさに身を伏せ、アンジェラはレイと自分の身を守る。風が止み、土煙が晴れたアンジェラの視界を翡翠色のマントが覆った。この戦場でアンジェラ以外に翡翠のマントを身にまとう者はただ一人しかいない。
「ヒー、リー……」
「すまない、遅くなった」
アンジェラの前に、ヒーリーがただ一人仁王立ちしていた。右手には魔術銃アストライアが握られている。ヒーリーは笛を取り出すと、二回吹いた。「総員、対閃光対音響防御」の合図である。
命令を発したヒーリーは二発の銃弾を放った。視界を覆うものが無くなった今、敵の姿も味方の姿もよく見える。騎兵大隊と弓兵大隊、二つの敵大隊に放たれた銃弾は彼らの鼻先で爆発した。