第六章 ミュセドーラス平野大決戦! 第百二十話
「軍団長閣下もなかなかどうして、こんなときにおれ達を使ってくれるものだ」
ワイバニア軍第一軍団弓兵大隊長ヴェルナー・テンシュテットはかけていたメガネをあげた。年齢は三十三歳、大きな色眼鏡をかけ、金色の髪を後ろに撫で付けた髪型とは裏腹な柔和な顔立ちは学校の教師を連想させる。
事実一時期、彼は士官学校でも教鞭をとっており、「矢の速度と射程の前ではどんな翼竜も騎馬も無力」と言う持論を候補生達に説いていた。弓兵の運用にかけては若くしてワイバニア随一と呼ばれる能力の持ち主だった。
「弓兵大隊、前進!」
ヴェルナーは配下の弓兵大隊をワイバニア軍第一軍団右翼へと前進させた。
土煙は敵から身を隠すだけではない。自分たちの目も見えなくさせてしまう。ワイバニア軍騎兵大隊撃滅の命を受けたアンジェラ・フォン・アルレスハイム率いる連隊は視界ゼロの中、馬を走らせていた。
「いいか、この土煙だ。予測位置に敵軍がいるとは限らない。全員警戒を怠るな」
アンジェラは部下に言った。「警戒を怠るな」その言葉は実に曖昧極まる言葉だと言える。何に対して、誰に対して警戒をするというのか? 騎兵に対してか、それとも、ハイネ・フォン・クライネヴァルトに対してだろうか。それだけであれば、彼女の警戒は甘いものだった。彼女達は息を殺して前方に潜む敵にはまったくと言っていい程無警戒だったのだから。
「いいか、お前達。狙いを定めなくていい。一斉に、弾幕射撃で敵を仕留めるんだ。さぁ、サーカスの始まりだ!」
馬の蹄の音に隠れて、きりきり、きりきりと長弓の弦をひく音が聞こえる。ヴェルナーは耳を澄まして敵の音を聞いた。腹の底に響く重低音。
(近い……)
敵が射程に入った瞬間、ヴェルナーは叫んだ。
「撃てぇ!」
ちょうどその頃、アンジェラも前方の異変に気づいた。無数に光る星のきらめき。その一つ一つが人を死に追いやる矢じりの輝きだと分かるのに数瞬の時間を必要とした。
「弓兵? まずい! 総員防御を……」
アンジェラの声と同時にワイバニア軍の矢がアルレスハイム連隊に殺到した。前方を全速力で疾駆する騎兵に分け隔てなく矢が襲いかかった。
アンジェラの前方を走る騎兵に無数の矢が突き刺さる。アンジェラが防御を命じた数秒後、ワイバニア兵が放った矢がアンジェラの体を貫いた。
「うっ!」
後ろにひかれるようにアンジェラは馬から転がり落ちた。地面に体を打ち付けられたアンジェラは鈍い痛みに耐えながら立ち上がった。落馬したことがアンジェラにとっては幸運だった。少し前でアンジェラの愛馬が体中に矢を受けて、巨体を痙攣させていた。
「……っ!」
矢はアンジェラの右肩に突き刺さっていた。アンジェラは地面に落ちていた枝を口にくわえると、矢を一気に引き抜いた。
「ん! んぅぅぅぅ!」
アンジェラは血が流れ出る肩をきつくしばると、体を引きずって歩き出した。