第六章 ミュセドーラス平野大決戦! 第百十五話
敵は一向に動くことはない。動いた時点で今度は戦術的にも敗北してしまう。ヒーリーの顔に冷や汗が一筋垂れる。
「考えろ……。奴を崩す方法を……」
長く伸びた濃緑色の髪をヒーリーは指で弄んだ。それと同時に誰も寄せ付けない気が周囲へ発散されていく。彼の頭脳の中で、幾十、幾百の戦いのパターンが取捨選択されていく。傍らのメアリもヒーリーを察すると、無言で彼の側に控えた。
「第一騎兵大隊、アルレスハイム連隊出撃! 敵右翼後方に攻撃を仕掛ける!」
「しかし、それではこの陣形を崩さねばなりません!」
「わかってる、参謀長。だからこそ、遊撃戦力を使って敵に包囲の意図がないことを印象づけるんだ。敵はアルレスハイム連隊と騎兵大隊を攻撃するはずだ。そうなったときが勝負だ」
メアリはヒーリーの意図をはかりかねていた。ハイネとヒーリーが当初考えたのと同じように、両軍の陣形はカウンター攻撃にもっとも適している。つまり、先に攻撃を仕掛けた方が不利になるはずだ。それなのに、どうして、損害を作るような真似をするのか。彼女にはわからなかった。
彼女の前に展開されていたアルレスハイム連隊と騎兵大隊が左に動き始めたとき、彼女は理解した。ヒーリーがこの陣形を使って行なおうとしていることに。
「アルレスハイム連隊、前進!」
「第一騎兵大隊、アルレスハイム連隊に続け!」
別働隊として出撃する連隊長、大隊長は高らかに声を上げ、兵を鼓舞した。アルレスハイム連隊はすでに三度目の出撃になるが、その意気と士気は高かった。
ここ一番の戦局を左右する局面で用いられたアルレスハイム連隊。すでに一個軍団を葬り、上位軍団を敗走せしめた。その戦力はわずか一日にして、フォレスタル一の精鋭という名を高めつつあった。
「ついに、第一軍団と戦うか……。おれ達の力を見せてやりましょう」
「あ、あぁ……」
参謀のレイの返事をアンジェラは上の空で返した。ワイバニア第一軍団の練度と武力、ハイネの智謀と指揮能力。フォレスタル軍の中でアンジェラほど彼を知る者はいない。亡命の際、ハイネに助けられたアンジェラはその実力をまざまざと見せつけられていた。
元第七軍団長と第一軍団長の力の差。それは天地ほど違うと言っても過言ではない。そして、その部下の力も、例えヒーリーでもこの絶対的な力に勝つことが出来るのか。
「連隊長、大丈夫です。少しは部下の力を信じてください。あなたが育てた連隊なのですから」
アンジェラは一人ではない。部下達に支えられている。いい仲間達だ。ワイバニアにいた頃よりも、ずっと強い連帯感で結ばれているように思える。思えば、自分は部下に命をあずけることをしてきただろうか。アンジェラはこの戦いで、初めて時分の仲間を信じることが出来たのかもしれない。
「アルレスハイム連隊、決して無理をするな。敵を急襲したら、自分を守ることに専念しろ。陣形はこちらで指示を出す。死ぬな! これが絶対の命令だ」
「死ね」と命じる指揮官は多いが、その逆を命じる指揮官の何と少ないことか。そして、その命令を実行することの何とむずかしいことか。アルレスハイム連隊の兵士達は真剣に笑って、その命令を胸に刻んだ。生きて帰って、再び仲間と笑いあえるために。