第六章 ミュセドーラス平野大決戦! 第百九話
「右元帥閣下は、お怒りになるでしょうなぁ……」
普通の将であるならば、メルキド軍第二軍団の裏切りに乗じて、タワリッシら連合軍首脳を抹殺するだろう。リピッシュなら、おそらくそうしたであろう。それで、今回の決戦は全て終わるのだから。だが、ハイネはそうしなかった。武人としての誇りに、彼は愚直なまでにこだわり続けた。
一軍を率いる将同士、互いの知力と死力を尽くして堂々と渡り合うべきであり、暗殺や裏切りなどは最も忌むべき手段だと、ハイネは考えていた。だからこそ、先のヴィヴァ・レオの戦いでは、ハイネは戦いを汚した皇帝と右元帥に殺意を抱いたのである。
ハイネはエルンストの言葉に鼻を鳴らした。
「何のことだ? わたしはただ追撃戦を行なっているに過ぎない。目の前の脅威である敵第二軍団撃破しているだけのことだ。何を責められることがある?」
エルンストは苦笑した。だが、彼の心中は表情ほど穏やかではない。ハイネが何と言おうとも、彼がワイバニア軍の戦略の一端、それも勝敗に直結した部分を邪魔したということには変わりがない。この戦いまではいい。ハイネの能力と兵力はワイバニア軍にとっては有益なのだ。だが、勝った後はどうなる? このことがハイネの足許をすくう結果になりはしないか。彼は七歳年長の参謀長は、人生経験については、まだまだ自分に及ばない軍団長を慮っていた。
戦況も信じられないほどに変化していた。右と左とサンドバッグ状態に攻められていたメルキド第二軍団は第一軍団の包囲下に置かれている。抵抗すら出来ない程、あわれに打ち据えられていた。
「それにしても、無様なものだ。誰が指揮を執っているかわからないが、さっきの整然とした隊列とは雲泥の差だ。上につく人間が相応の能力を持っていなければ、下はたちまち瓦解するということか」
(軍団長は、敵軍になぞらえて、我が国のことを言っているのではないか)
エルンストは思った。ハイネらしい皮肉だ。メルキド第二軍団は今や、マーガレットのフォレスタル第四軍団以上の醜態をさらしている。ウーヴェはもとより、彼の部下も用兵とは無縁の人間ばかりである。その指揮は常に後手に回り、善戦する味方ですらも、上の理不尽な命令によって翻弄され、命を落としていった。
しかし、それも右元帥の作戦なのではないか。敵軍の数を減らし、ワイバニア軍全軍が戦いやすくするための……。第二軍団の裏切り、ハイネによる攻勢、その全てが仕組まれていることではないか。明敏な参謀長はかぶりを振った。
「軍団長、これからいかがしますか? 敵を全滅させる訳にはいきますまい」
「そうだな……。敵の指揮系統を寸断する。騎兵大隊と弓兵大隊に命じて、敵軍中枢を射撃させるように伝えろ」
「はっ!」
エルンストはハイネに敬礼すると、伝令に伝えるべく走っていった。
ハイネは両翼で攻撃中の騎兵と弓兵大隊に大隊長を含む各大隊の司令中枢の攻撃を命じた。右元帥の配下は大隊指揮官まで手にかけていたが、中隊長レベルまでは手が回っていないようだった。それは彼ら中級指揮官が自分たち第一軍団を相手に善戦していることからもよく分かっていた。敵であっても、彼らを無意味に死なせることはハイネの矜持が許さなかった。