第六章 ミュセドーラス平野大決戦! 第百五話
「隙のない隊列……。ワイバニア最強の名は伊達ではないと言ったところか」
にらみ合いを続けるメルキド軍第二軍団長ヴィア・ヴェネトは息を漏らした。堂々たる陣立て。兵の持つ長槍は高さが揃えられ、天をつかんとそびえ立っている。後方に配された騎兵は動くことなく敵の襲来に備えている。重装歩兵、歩兵、騎兵の三段構えの陣は攻め込む余地すら与えない程完璧だった。
美しささえ感じる敵軍の配置に嘆息しながらも、ヴィア・ヴェネトは思案を巡らせていた。
ヴィア・ヴェネトはヴィヴァ・レオと並び称されるほどの超一級の軍団長である。将器ではハイネにひけをとらない。ヴィア・ヴェネトが採用したのは密集隊形による中央突破だった。
巨兵大隊を先頭に敵前衛の重装歩兵大隊に揺さぶりをかけ、中央突破、背面展開と言う戦術をワイバニア軍に印象づけた後、全速後退、鶴翼陣形にて包囲するというのが、彼の作戦の骨子だった。彼が立案した作戦は、今回参加したアルマダの全軍団長の中でもっとも複雑な術式である。
ヴィア・ヴェネトがこのような複雑きわまりない戦術をとったのは、ひとえに後方の連合軍総司令部の存在にある。背面展開と言う戦術を行なった場合、連合軍総司令部が敵軍の前方にがら空きという状態になる。タワリッシやスプリッツァーらを守る為に、彼は、このような策をとらざるを得なかった。
しかし、この作戦にはいくつかの不安要素が残されていた。鈍足の巨兵大隊を先陣として使用することは、全速後退時に同時に殿軍の役目も果たさねばならず、敵軍に捕捉される危険が大きかった。
しかし、ヴィヴァ・レオと共に、ワイバニア戦線を長年戦い抜いてきたヴィア・ヴェネトにはこのような作戦をやり遂げられる自信があった。兵士達の練度も高く、意気軒昂。自分たちの軍団なら、ワイバニアの最強軍団であっても撃破できる。軍議の席でヴィア・ヴェネトは実感していた。
「よし、らちを開けるとしよう。全軍、密集隊形!」
ヴィア・ヴェネトは命令を発した。しかし、司令部にいた誰も動こうとしない。
「どうした? 何をしている?」
「残念ですが、その命令は無効になりました」
副官の声がいつもと違い、聞いたことのない人間の声に変わった。振り向いたヴィア・ヴェネトの旨に黒衣の暗殺者の短剣が突き刺さった。彼のトレードマークだった三つ編みの黒髪がはらりととける。
「なっ……?」
肺腑から息の代わりに血を吐き出したヴィア・ヴェネトは彼の周りの幕僚を見回した。彼の視線に応えるように、幕僚達はその皮を脱ぎ、彼を刺す暗殺者と同じ格好になった。
「ば、ばかな……」
彼はようやく気づいた。幕僚達はすでにワイバニアの暗殺者によって殺されていたことを。おそらく、配下の大隊長、そして副官もワイバニアの手の者にすり替わっているだろう。メルキド軍第二軍団は戦う前に敗北したのである。