第六章 ミュセドーラス平野大決戦! 第五十八話
ミュセドーラス平野東方、ヒーリー専用馬車に設置された作戦室の中に、乾いた音が響いた。フォレスタル軍総司令官、ヒーリー・エル・フォレスタルが実の妹の頬をはった。
「何をなさいますの……。お兄様」
マーガレットはヒーリーに敵意の眼差しを向けた。作戦室には、スタンリー、メアリ、ウィリアムら軍団長、参謀長クラスの人間達が集められていた。彼らの前で兄から罰を受けることは、マーガレットにとって屈辱だったのである。
「二二三五名……。お前が勝手な判断をして殺した人間の数だ。何とも思わないのか?」
ヒーリーの傍らにいた増援軍参謀長のメアリは、彼がかつてないほどの怒りに支配されていると感じていた。マーガレットの判断が彼とタワリッシの戦略構想の一部を崩したのは疑いもなく、さらに第四軍団は全軍の二割強を失ってしまった。戦傷者の割合はさらに大きく、軍団としての戦力は半減したと見るべきであろう。
まだ後方に大きな予備兵力を温存してるワイバニア軍との戦力差は、さらに決定的となりつつあった。
「そ、それは……」
「参謀の責任でもするつもりか? 功を焦ったのはお前の責任だ。ホワイト卿を解任したのはお前の誤りだ」
(あえて、尊大に接しているのね……)
将兵の死を意義のあるものにしなければならない。二二三五名の命を無為に散らせるのは、彼らに対しても、父を母を、息子を、そして娘を永遠に失った遺族達に対しても失礼なことであった。マーガレットを処断するだけでなく、全軍に徹底しなければならない。総司令部の意向を聞くことなく、兵を動かしてはならないということを。士官学校の時代より、彼と最も長く時を過ごしてきたメアリは悲しげにヒーリーを見た。
ウィリアムをはじめとして、ヒーリーとマーガレット以外の人間は口を開こうとはしなかった。ウィリアムはただ腕組みをしてマーガレットを睨んでいる。部下達を無駄死にさせたことが彼も許せなかったのだ。ウィリアムら第三軍団は一兵も死なせることはなかったが、彼らにしても予定外の戦術行動を強いられていた。
ウィリアムは自分に与えられた権限の範囲で軍団の移動を行ない、ベティーナら第七軍団を牽制した。
スタンリーらの騎兵大隊がスムーズに撤退を成功させたのもウィリアムらの働きがあってこそだった。示威行動ではあったものの、第三軍団もまた、完調とは言えぬ状態に陥った。
第十二軍団を退けたとはいえ、フォレスタル軍の消耗は連合軍にとっては大きな戦力低下になっただろう。マーガレットはこの時点でなお、自らの失敗の大きさに気づいていなかった。