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第六章 ミュセドーラス平野大決戦! 第五十五話

殺される。死にたくない。一万の軍団を統べる者でありながら、ヴィクターは涙を流していた。助かるなら、何でもしたい。あとはどうなってもいい。半ば狂気とも思える生への渇望にヴィクターは支配されていた。そして、今になってローレンツがスタンリーに対して抱いていた畏れをようやく理解した。無慈悲な眼差し、相手との圧倒的な差をスタンリーは見せつけるのだ。死に対する恐怖、味方を殺してでも、自分が生き残りたいという欲求を呼び起こし植え付ける。尊敬よりも恐怖が優る存在もあるのだ。ヴィクターの喉元に師の血に濡れた剣が突きつけられる。あと少しでも剣が前に出てしまえば、ヴィクターはこの世の人間ではなくなってしまうだろう。助かりたいと叫びたい。しかし、敵将はヴィクターが声を発することを許さぬほどの殺気を放ち続けていた。


「バルクホルン閣下、取引させていただきたく思います」


スタンリーは言った。何故取引を? そのようなことをせずとも、勝利は最早手の中にあると言うのに。ヴィクターには理解出来なかった。


「あなたを殺せば、たしかにワイバニア軍は大きく力をそがれることになるでしょう。しかし、復讐戦と追撃戦を、残余の兵が仕掛けてくるやもしれません。そうなっては、我々は壊滅。一人の命と、一個大隊千名の命。どちらが大切かは、お分かりでしょう」


スタンリーはヴィクターの命と、自ら率いる一個大隊とを天秤にかけたのである。ただ、この取引はヴィクターにとって、極めて不利なものである。ヴィクターが断れば、彼の死。一個大隊は全滅するかもしれないが、軍団長の一角を落したとなると、フォレスタル・メルキド連合軍の優位に傾くだろう。


スタンリーを見逃したとしても、皇帝が許すはずもない。処罰は免れない。屈辱のまま生きながらえるか、一瞬の死か。ヴィクターは即断した。


「分かりました……。取引に応じます」


どんなに非難されてもよかった。命さえ助かればいい。ヴィクターの短い人生の中で最も利己的になった瞬間だった。醜くも敵の前で命乞いをしたのだ。ヴィクターの目から滝のように涙が溢れ出る。


「ありがとうございます。では、いずれ戦場で」


言い終えたスタンリーは、馬を走らせるとヴィクターの陣を出て行った。護衛の兵の悲鳴が聞こえる。スタンリーが追いすがる兵士達を斬り捨てているのだ。


「伝令! 誰か!」


ヴィクターは生き残った伝令兵を呼ぶと、傷ついたコンラートとローレンツの手当と追撃の禁止を命令した。


「あとを……頼みます」


慌ただしく兵や幕僚達が動き回る陣を出たヴィクターは陣幕の影で一人泣いた。決定的な敗北だった。命乞いをして生きながらえた。生き残ってしまった憤りにヴィクターは何度も地面に拳を打ち付けた。涙と血が十八歳の少年軍団長の足許を濡らしていた。

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