第六章 ミュセドーラス平野大決戦! 第四十話
「このまま、フォレスタル軍を牽制出来るといいですね」
ワイバニア軍第十二軍団長ヴィクター・フォン・バルクホルンはフォレスタル軍の二個軍団を横目に言った。油断は禁物であったが、このときヴィクターはある種の安心感を抱いていた。どこをどう先読みしても、現状でフォレスタル軍が攻め込めば、兵力の浪費に終わる。有能な将ならばなおさらのことそれがわかるはずであり、このままワイバニア軍の兵力展開を待つはずだ。ワイバニアの若き知将は斜面に見える軍団旗を見上げた。
「スタンリーに気をつけろ」
ヴィクターの背後にいた参謀長のローレンツ・フルトヴェングラーが小さな咳払いをした。
「何ですか? それは」
「わたしたちが新兵の時代、フォレスタル遠征を行なった軍団に流布したことわざです。フォレスタル軍の中でも、最強の前線指揮官と呼ばれた男だそうです。奇計を用いず、戦いは常に正道を好む。局地戦では負けなしの名将でした。わたしも三度彼率いる部隊と交戦しました」
ローレンツは淡々と過去を語った。しかし、話が進むにつれて、冷や汗をたらし、声が時折裏返るようになった。冷静無比のローレンツが明らかに恐怖を覚えているのが見て取れた。ローレンツはそれ以上のことを語らなかった。いや、語れなかった。
「惨敗だよ。とくに、三度目の戦いは凄惨だった」
ローレンツに代わってもう一人背後にいた大男が口を開いた。
「コンラートさん」
「三度目はこいつが中隊長だったときだ。あっという間だった。スタンリーの中隊が敵陣に突入したんだ。最前線を守備するローレンツの防御陣のいちばん薄い部分をやつはついた。ローレンツのこしらえた陣形だ。薄いと言っても、相当な厚みを持っていた。奴はほんのわずか、針の穴一つほどの隙をついたんだ。スタンリーの突撃の前に、ローレンツは破れた。やつの突撃はこいつを恐怖させるに十分だったのさ。五分もしないうちに前衛の三個小隊が壊滅したよ。そしてローレンツが指揮する小隊まで奴は襲いかかった。信頼する部下達、戦友達がローレンツを守り、死んでいった。おれが率いる龍騎兵中隊がかけつけたときにはもう、遅かった。味方の亡骸の真ん中に一人、ローレンツはたたずんでいたよ。敵味方、双方の返り血にまみれてな」
コンラートは一切の感情を交えずに語った。ローレンツの過去をヴィクターははじめて知った。その深い心の傷も、恐怖も。
「ローレンツさんを破るなんて、それほどの上将なんですか?」
「……はい」
伝説と謳われるほどの男がここにいるかもしれない。将として手合わせ出来る喜びと恐れを、ヴィクターは同時に感じていた。
伝令がヴィクターのもとにやってくる。彼はヴィクターに一礼するとあり得ない事実を報告した。
「敵、第四軍団に動きあり!」