第六章 ミュセドーラス平野大決戦! 第三十八話
「全軍の移動が間に合ってくれればいいな」
忙しく伝令や幕僚が出入りする軍団長専用馬車の作戦室でヒーリーはつぶやいた。第一軍団の被害状況、各部隊の展開状況、前衛の軍団の新兵器の配備状況など、ヒーリーの目の前には山のように報告書が積まれていた。
「第五軍団全軍の移動の前に、報告書にも目を通してもらわないと。作戦行動に支障が出ますから」
報告書の山の頂に手を触れたヒーリーの横に、さらに山が出来た。その高さにヒーリーは眉をひくつかせた。
「わかっているよ。参謀長、報告書を読み終える頃には、戦いが終わってしまわないかな?」
「軽口を叩いていられるなら、大丈夫でしょう。全軍の移動も順調。第一騎兵大隊とアルレスハイム連隊は既に配置を完了しているわ」
参謀長のメアリの報告にヒーリーは頷いた。ヒーリーがいる司令部大隊は移動する第五軍団の最後尾に位置していた。第五軍団が保有する全戦力の中で、司令部大隊は最も速力の遅い大隊であり、戦力の迅速な展開を行なうためにヒーリーは自分たちをあえて最後に移動させることにしたのである。
「それにしても、メアリがそんな髪型にするとは、意外だったな」
手に持った報告書を読み終えたヒーリーはメアリに視線を移した。決戦の朝、メアリは長かった髪をばっさり切ってヒーリーの前に現れた。谷底に落ちた眼鏡を新しいものに替えることもせず、これまでのメアリとはまったく異なるいでたちをしていた。
「ヒーリーにふられたせいよ。これまでの自分を捨てて、新しい自分になりたかったの」
半分冗談、半分本気で、気丈な参謀長は笑った。失恋の痛みも、これから肉親を失う悲しみも、全て吹っ切れたような晴れやかな顔をしていた。
「それはよかった。ついでにもっと優しくしてくれたら、最高なんだけど……」
「何言ってるの。軍団が配置に付くまでにその報告書に目を通しなさい。少しでも遅れたら、せっかんしますからね」
「やれやれ、何も変わってないじゃないか」
ヒーリーは椅子からずり落ちそうなくらい、腰を落とした。冗談もそこそこに、ヒーリーは姿勢を戻すと、報告書に目を通し始めた。よく開いた目が、めまぐるしく動いている。ヒーリーの目と同様に、戦況も一層激しく動きはじめていた。