第六章 ミュセドーラス平野大決戦! 第三十七話
ミュセドーラス平野北側入り口、両端を切り立った崖で形成された谷間を六万の兵が駆け抜ける。ハイネらワイバニア第一軍団に続いて侵入を果たしたのはマレーネら先鋒軍三個軍団だった。彼らは東側に展開したフォレスタル軍二個軍団をあざ笑うかのように、彼らの真正面を通過して行った。
「この野郎。おれ達が手出し出来ないことが分かっていて、こんな手に出やがるんだ」
フォレスタル軍第三軍団長、ウィリアム・バーンズは悔しさに歯噛みした。
「仕方ありません。迂闊に出れば、六個軍団の攻撃をもろにくらうだけですから」
「そんなことはわかっている。わかっているからこそ、悔しいんじゃないか」
濁流にいくら小石を沈めても、その流れを止めることも帰ることも出来ない。ウィリアムは馬鹿ではない、兵力をいつ、どれだけ投入するのが最適かをよく理解している。それが、彼がわかくして軍団長たる資格を有している由縁だった。
「敵軍が攻撃を加えない限り、第三軍団はこのまま動くな」
作戦室が備え付けられた軍団長専用馬車。その屋上でウィリアムは大きなため息をついた。戦いたい。戦いたいが今はまだ、その時ではない。足や手を動かし、兵を叱咤して突撃したくなる衝動を彼は鋼の理性で抑えつけた。
「マーガレットはどうだろうな。あのじゃじゃ馬。初の実戦だからって、舞い上がらなければいいが……」
ウィリアムはさらに侵入口に近い、マーガレット率いる第四軍団の陣地を見た。彼女の気性を象徴するかのように、弓を射る女神が描かれた軍団旗が荒々しく風にたなびいていた。
「敵が目の前を通り過ぎているのに、何も出来ないなんて!」
軍団長専用馬車内部の作戦室、その机に広げられた陣形図にマーガレットは手を叩き付けた。
「し、仕方ありません。兵力の数が違い過ぎますから」
マーガレットを恐れるように、第四軍団参謀長のスタンリー・ホワイトは言った。はげた頭に丸眼鏡、やせっぽちの中年。寒くもないのに、時折ハンカチで汗を拭う参謀をマーガレットは嫌っていた。
(……こんな不潔な男、いつか軍から放り出してやる)
腰も低く、自分にいつもへりくだる態度がさらに気に食わなかった。それでも、彼は第四軍団の参謀長を十年以上にわたって勤め上げて来た古参の参謀だっただけにむげに放り出すわけにはいかなかった。
「……あの、はい、軍団長」
「何ですの?」
「くれぐれも軽挙は……」
「わかっていますわ! 参謀長ごときが私に意見するなんて、十年早いですわ!」
「は、はい……」
萎縮する参謀長を無視し、マーガレットは親指をかんだ。お兄様のことといい、ホワイトのことといい、面白くないことが多すぎる。早く攻撃して、嫌なことを全て忘れたい。精神的に未熟な軍団長は攻撃のタイミングを密かにはかっていた。