第六章 ミュセドーラス平野大決戦! 第十九話
「ほらほら! とっとと追い立てるんだよ! 矢で射かけな! 獲物が目の前にいるんだ!」
ザビーネは残忍な笑みを浮かべて部下に命令した。その狂気をはらんだ笑いは長年仕えていた部下たちでさえ恐怖させた。
一万人の大軍団がよってたかって、たった一人を追いつめている。ハイネがいたら嫌悪と侮蔑の眼差しでザビーネを見たであろう。これは戦争ではない。戦いですらない。ただの狩りだ。後方からやっと追いついたギーゼラは狂気に満ちた軍団を見て思った。
「ザビーネ! 少し落ち着きなって。伏兵がいるかもしれない。地形をよく見ないで深入りするのは危険だよ」
「あはは! どこが危険? 敵はたった一人。多くて五個中隊。皆殺しするのはあっという間だって。ギーゼラ。あんた、何神経質になってんの?」
「嫌な予感がするんだ。あんただけでも戻って……」
「何で戻るの? 獲物が目の前にいるんだ!」
「あんたは軍団長なんだよ!」
腹に響く重低音をかき消して、ギーゼラは叫んだ。
「……本当に、どうしたんだ? ギーゼラ。いつものあんたらしくないよ」
「ザビーネ。相手はあのアンジェラ・フォン・アルレスハイムだ。戦上手なのは皆知ってる。あと数年経てば、上位軍団長入り確実だった女だよ。そんな女が、ただ逃げるだけなんて訳はない。一個軍団を相手にする訳がない。深入りは避けるんだよ!」
「今のうちに、討ち取れば問題ないよ」
ザビーネはボウガンを片手に構えた。照準器の真ん中に翡翠色のマントをなびかせたアンジェラの姿が入る。ザビーネが引き金をしぼろうとした瞬間、照準器の中の女が何かを地面に放り投げた。狭い渓谷に、たちまち煙が充満する。
「煙幕だ! 全軍停止。毒煙かもしれない。防毒マスクを着用しな!」
軍団長よりも早く、的確な指示を筋骨隆々の参謀長は下した。
「あんたも、ほら! 惚けてないで、マスクしな!」
ギーゼラはザビーネの馬に飛び乗ると、無理矢理親友にマスクをつけた。悔しいが、視界が完全に閉ざされている。煙が晴れるまで、まったく身動きがとれない。逆に敵は想いのままに攻撃を仕掛けてくるはずだ。音もなく、煙にまぎれて。そうなったとき、狂躁状態になった軍団をまとめることができるか……。嫌な予感が当たってしまったことをギーゼラは思っていた。
「ふ、ふふふ。あははは! アンジェラぁ! 大したことしてくれるよね! 決めた! 決めたよ。どうやって殺してあげるか。龍の爪で体を引き裂いてやるよ! それから死体は餓えた翼竜にくわせるんだ。首だけはちゃぁんと残してあげる。あたしが遊ぶためにね。あははは! 楽しみ! さぁ〜ぁ、出ておいで! アンジェラ・フォン・アルレスハイム! 愉しんで殺してやるよ」
狂った笑いをする親友を前に、若き戦士は命令を下した。
「龍騎兵大隊を呼びな。最終局面だ」
第十一軍団首脳部は龍騎兵の投入を決定した。