第六章 ミュセドーラス平野大決戦! 第十七話
渓谷を吹く風に、金色の髪と翡翠色のマントがはためいた。仁王立ちするアンジェラの手には宝珠を頭上にいただく龍の旗、フォレスタル軍の軍旗が握られていた。その姿、凛として堂々。勇壮な美の極致とも言えるだろう。マレーネとはまた異なった戦女神の趣を漂わせていた。
「アンジェラ・フォン・アルレスハイム……。生きていたのか……」
アンジェラの姿を見たギーゼラは驚きに声を失った。馬鹿なことが……。死んだはずだ。ギーゼラは全ての事態を把握した。罠だ。敵が侵入口に長く居座っているのも、第十一軍団が入れるだけの隙間をあけてくれたのも。ギーゼラは慌てて進言した。
「ザビーネ! これは罠だよ! 無視するんだ。敵はたった五個中隊。あたしたちに敵う訳がないんだから!」
幼なじみの進言をザビーネは無視した。いや、耳に入っていなかったのだ。ザビーネは驚きと喜び、そして驚喜の入り交じった笑みを浮かべた。
「うふ、ふふふ。あーっははは! 最っ高! そう、そうじゃなくちゃ! よみがえったのなら、何度でも殺してあげる! 切り刻んで、踏みつぶして、その傷だらけの顔を何度でもえぐってあげる!」
人を殺す愉悦にひたる笑い。ザビーネの軍団長たる証。残忍さと冷酷さを併せ持つ稀代の殺人者、ザビーネ・カーン。この笑みを浮かべた以上、誰にも止められない。たとえ、それが罠であったとしても。ギーゼラはため息をつき、腹をくくった。恐らく、自分は命を落とすことになるだろう。アンジェラ・フォン・アルレスハイムの知勇にはかなうべくもない。だが、せめてザビーネだけは。悪夢のような日々と地獄のような貧民街から共に這い上がって来た半身だけは守り抜いて死んでやる。ギーゼラは悲壮な決意を固めた。
「第十一軍団、全軍であのゴミを片付けるよ! いい? アンジェラは、あの裏切り者だけは殺さずにわたしのもとに連れてくるんだ」
ザビーネは全軍に命じると、馬をアンジェラの方に向けた。ギーゼラは参謀の一人を呼び寄せると、耳打ちした。
「襲撃する兵力のうち、第五歩兵大隊と第二弓兵大隊はここに待機だ。それくらいの兵力なら、ザビーネの目も、相手の目もごまかせる」
「何故、そんなことを……?」
「ヤバいことになるかもしれないからさ。あたしが全責任を取る。もしも、本隊に何かあったときは、後方の第三軍団に合流しな。嫌われ者の第十一軍団だけどね、第三軍団のヘッセ参謀長にはよくしてもらったんだ。少なくとも、この戦いだけは、悪いようにはしないさ」
「参謀長……」
移動を始める軍団の中で、ギーゼラは手紙を急いでしたためると、参謀に手渡した。
「あたしのサインと印だ。部隊の指揮はあんたに委ねる。それから……」
筋骨隆々の男勝りの女参謀長は、二人にしか聞こえない声でささやくと、優しく微笑んだ。
「参謀長……」
部下は最敬礼して上官を見送った。ギーゼラは、ほほを染め、少し照れくさそうに笑うと、「早く行きな」と部下を手で払った。ギーゼラ・ヴァント最後の戦いが始まった。