第五章 決戦! 第五十八話
「まさか、中心街にこんな施設があるなんてな」
ハルトムートの自室で、クリストフは煙草に火をつけて言った。
「せめて、部屋の主に喫煙の許可くらいとって欲しいものですね。シラー室長」
ハルトムートは一服煙草を吹かして笑った。ハルトムート・フィッシャー。フィッシャー家現当主であり、天才と評される腕を持つワイバニア医学界の異端児だった。
「固いこと言うな。これほどの設備を上にも黙っておいてやると言うんだからな」
クリストフは煙を吹き出した。フィッシャー家は代々医学者の家系として知られている。彼らは、時に革命的な術式を考案し、医学の発展に寄与して来た。彼らの医学への貢献の原動力は医学に対する飽くなき探究心と、知識欲にあり、彼らはどん欲に研究を続けていたのである。世間の耳目が届かぬ遥か深淵の闇の中で、人体実験や特殊な医療器具の開発に明け暮れ、敵国とも密接なパイプを持ち、その技術と知識を高めていったのである。
「こんなことが明るみに出れば、お前さん達も破滅するだろうからな」
クリストフは冷酷な表情を浮かべた。しかし、本心では彼はこれを告発する気などなかった。非合法の医療施設があるということは、マリアを匿いやすいということだった。今まで帝国の暗部に隠れていた場所である。それだけに暗殺者の目を欺くことが出来る。マリアを助けたい一心でアウグストが連れて来た場所は、はからずも絶好の隠れ家になったのである。
「すみません! 兄さん、一族の秘密を話してしまって・・・・・・」
アウグストがハルトムートに頭を下げた。兄は煙草の火を消すと、弟の頬をはった。部屋中に乾いた音がこだました。
「この愚か者が・・・・・・」
「おい!」
クリストフの制止を聞くこともなく、ハルトムートは弟を見下ろした。
「フィッシャー家の秘密を他人に話すとは・・・・・・何のために我が一族がこの秘密を守り続けていたと思っている・・・・・・」
「ごめんなさい・・・・・・」
「医者にも研究者にもならず、軍に入って・・・・・・あげくこの様とはな。フィッシャー家の面汚しが」
兄からの厳しい罵倒をアウグストは黙って受け入れていた。一族の秘密を漏らすことは、死にも等しい大罪であったのだ。
「言い過ぎだろう! やむを得なかったんだ! 病院に運んでいたら、彼女は間違いなく死んでいた。彼女の命を救ったのはあんたの弟のおかげだ!」
「室長・・・・・・」
クリストフはハルトムートに迫った。ハルトムートは自分の椅子に腰を下ろすと、クリストフらに言った。
「今日はお引き取り願おう。患者はしばらく動かすことは出来ん。見舞いも好きにするがいい。ただし、この中でのことは他言無用だ。わかったな」
「・・・・・・あぁ」
クリストフは吐き捨てるように言うと、席を立ち、二人を連れて外に出て行った。扉が閉じる音を聞いたハルトムートは鼻筋に指を当てると、大きなため息をついた。
「命を救ったか・・・・・・そんなことは俺が一番良く分かっている。・・・・・・よくやったな。アウグスト」
星王暦2183年7月12日、若き天才医師は人知れず、弟の功績を賞賛した。