第五章 決戦! 第五十三話
「スプリッツァー総帥は?」
ヒーリーは作戦室を見回した。総大将であるはずのスプリッツァーがいないのだ。ワイバニア帝国は皇帝自ら出馬している。メルキドも総帥が前線に立たねば、全軍の士気に関わる。勝敗を分ける重要な要素なだけに、ヒーリーはタワリッシに尋ねなければならなかった。
「総帥が前線に立つなど危険きわまりないことだ。安全な後方にて督戦されるが最良なので、下がっていただいた。・・・・・・とでも、俺が言うと思ったか? ヒーリー、総帥もこのことは十分に分かっておられる。だからこそ、今、前線に立っていらっしゃる」
「前線に?」
「あぁ、今全軍を視察中だ。もうすぐお戻りになるはずだ」
タワリッシの言葉も終わらないうちに、作戦室の扉が開いた。最高指揮官のタワリッシを置いて、ノックもせずに作戦室に入ることが出来る人物は一人しかいない。メルキド公国総帥、スプリッツァーだった。金の髪に浅黒い肌、端正な顔立ち。王者たる風格をたたえた青年は、ヒーリーの姿を見ると、さわやかに言った。
「久しぶりだな。ヒーリー。君たちが来てくれるとなると百人力だ。国を代表して歓迎しよう」
「ありがとうございます。総帥」
ヒーリーとスプリッツァーは軽く握手すると、話もそこそこに、軍議の席についた。総帥であるスプリッツァーが上座に立ち、その両脇をメルキドとフォレスタルの将帥がかためる形で軍議が始まった。
「このミュセドーラス平野にて、ワイバニア帝国軍を撃滅する!」
作戦の提案者であり、全軍の総指揮官となるタワリッシが高らかに言った。
「ワイバニア軍は現在ロークラインより街道を通って進軍中だ。総数は10万5千、約10個軍団の兵力である。物見からの報告を総合すると、ミュセドーラス平野到着は7月16日と予測される」
タワリッシは続けた。ワイバニア軍が到着するまでに、あと5日。作戦準備が整いつつある今、さらに時間が出来るというのはありがたいことだった。脇街道を進んで来てよかった。ヒーリーはタワリッシの話を聴きながら、人知れず胸を撫で下ろした。
タワリッシ、いやヒーリーの立てた作戦は、ミュセドーラス平野にワイバニア軍をおびき寄せ、鶴翼陣形でワイバニア軍を包囲殲滅するものだった。だが、タワリッシもヒーリーもそれだけでワイバニアの精兵を撃滅出来るとは思っていなかった。
そこでヒーリー、タワリッシは残酷な作戦を考案した。味方の一個軍団を囮に敵軍をおびき寄せ、乱戦状態を作り出し、そこにかねてからせき止めておいたミュセドーラス平野に流入した全ての川の堰を切り、濁流で味方もろとも10万以上の兵士を押し流すというのである。
これは盆地に似たミュセドーラス平野の特殊な地形でしか出来ない作戦であり、タワリッシとスプリッツァーもそのことを考慮して、ワイバニアのメルキド侵攻時から準備を重ねていた。はからずも、ヒーリーとまったく同じ作戦を、メルキド軍は考えていたのだった。だが、味方軍団を囮にするということは、タワリッシ、スプリッツァー、ヒーリー、フランシスだけが知っていた。この作戦によって、一個軍団が確実に全滅するということが何を意味するかを理解していたのである。