序章 その二
この兵力は当時のワイバニア軍のほぼ三分の二にあたり、その圧倒的な兵力はフォレスタル辺境の各都市を数日のうちに失陥させた。
対するフォレスタル王国は病身の国王に代わり、当時若干二〇歳の王太子、ジェイムズ・エル・フォレスタルが自ら陣頭に立ち、近衛旅団五〇〇〇を初めとする4個軍団、4万5千の兵力で迎え撃った。
この軍団も当時のフォレスタル王国において投入出来る精一杯の軍団であった。当時、フォレスタル王国は隣接するメルキド公国と和平条約を結んではおらず、ワイバニア侵攻に乗じて、メルキドも攻勢をかけてくることが予想されたため、対メルキドのためにも兵力を割かねばならなかったのである。
一・三倍の兵力差、そして、かつてない規模の龍騎兵軍団を前に王太子ジェイムズ率いるフォレスタル軍は果敢に戦ったが、空から襲い来る龍騎兵の前に精強で知られたフォレスタルの兵士達は、一人、また一人と倒れていった。
そして、星王暦二一五三年三月二四日、フォレスタル軍は最終防衛線でもあるハムレット砦を死守し、ワイバニアを退却させることに成功した。
だが、これは退却というよりも、ワイバニアが戦略目的を果たしたことによる撤兵と言い換えた方が適切であった。このワイバニア帝国侵攻により、フォレスタル王国はその国力を著しく下げることになってしまったのである。
フォレスタル北部の穀倉地帯であるリア平野を含む、領土のほぼ半分を奪われ、国庫の歳入が低下しただけでなく、人的損害も大きかった。フォレスタル第三軍団長、トマス・ペンドルトン将軍を初め、将兵約三五〇〇〇人の命がこの侵攻で失われた。
さらに追い打ちをかけることがフォレスタル王国に起きた。国王、エドワード・エル・フォレスタルの崩御であった。
この報に接し、いち早く動いたのはメルキドであった。メルキドは三個軍団、三万の軍勢をフォレスタル王国との国境線となる大河、カスパール川河畔にまで派遣した。ただちにフォレスタル軍は水軍約一万を出動させ、これに対応した。
まさにカスパール川で一触即発となる情勢の中、これを解決させたのはフォレスタル王国宰相、ロバート・リードマンであった。リードマンは国王の死後、3日の服喪とあと、すぐに王太子ジェイムズを即位させ、メルキドと和平条約の締結を進言した。
和平交渉にはリードマンと即位したばかりの国王ジェイムズ自らが赴き、メルキドの国家元首である総帥との会談に臨んだ。
フォレスタル王国の指導者二人が敵国に入国したことは明らかに無謀きわまりないことであり、彼らは常に暗殺の危険にさらされた。
彼らが死ぬことはすなわちフォレスタル王国の滅亡を意味していたからである。彼らはそれを十分すぎるほど理解していたが、戦争を回避するためには、自分たちの命を危険にさらす他に方法はなかった。