第四章 決戦前夜 第四十二話
「先輩……」
「貴公……」
「戻りなさい。ハイネ君。これ以上進むことは私が許さないわ」
第七軍団長ベティーナ・フォン・ワイエルシュトラスは切っ先を動かすこともなく言った。
「ハイネ。少し休め。陛下と他の軍団長には俺たちがうまく言っておく」
シラーがハイネを見下ろした。シラーにしても、他の軍団長にしても、ハイネが皇帝と右元帥を斬り捨てて何の益もなかった。それはハイネ自身が最も良く分かっていたが、ハイネとしてもけじめをつけられずにはいられなかった。武人同士の立ち会いを汚された痛みは皇帝と右元帥をなます切りにしてもなお、消えるものではなかった。
「どけ、マンフレート、ワイエルシュトラス。どかぬなら、貴公らとて斬って捨てる」
ハイネは声低く言うと、鞘に手をかけた。
「ハイネ!」
わずか一瞬、二秒にも満たない時間だった。ハイネは膝を折って崩れ落ちた。
「無、念……」
ワイバニア最強の剣士の一人を倒した二人の軍団長は荒く息を吐いた。
「はぁ、はぁ……ありがとう。シラー。あなたがいなければ死んでいたわ」
「先、輩こそ、あのハイネを倒すなんて……お見それしました」
シラーは苦笑いを浮かべた。シラーの左腕からは鮮血がとめどなく流れ落ちていた。ハイネが剣を抜いた一瞬、シラーはハイネの剣を左手で握りしめ、ベティーナが斬撃を加える一瞬の隙を作り出したのである。シラーが剣を止めていなければ、今頃ベティーナの美しい首が宙に飛んでいたことだろう。
「たまたまよ、たまたま。……なんて人。これほどまでに強かったなんて。前に私が彼の斬撃を受け止めたとき、彼は実力の半分も出していなかったのね」
ベティーナは気絶して地に伏せたハイネを見て言った。
「こいつは俺たちに必要な人間だ……今ここで、むざむざ死なせるわけにはいかない。……レイヴン!」
シラーはハイネの愛騎の名を呼んだ。本来、主人と認めたものしか心を開かないエメラルドワイバーンも、主人と特に仲のいいシラーの言うことを聞くことがあった。シラーの呼び声を聞き、主に切迫した事態が起きたと察したレイヴンはシラーのもとに降り立った。