第四章 決戦前夜 第三十六話
「ばか……な」
ヴィヴァ・レオは目を疑った。ワイバニア軍が動いた気配すらないのに、後方のアーデン要塞から、火の手が上がるとは……ヴィヴァ・レオには到底信じられることではなかった。
しかし、火の手が上がった次の瞬間にはヴィヴァ・レオに、その事実を信じざるを得なくなる事態が起きた。要塞後方の山々に3つの龍の旗印が翻ったのである。
「あははははははは! メルキドのやつら、皆殺しにしてやるよ!」
桃色の龍に死神の旗印、ザビーネ・カーン率いるワイバニア第十一軍団。
「本当はこんな畜生働き、趣味じゃないんだけどねぇ……勅命とあれば、逆らえんさね。野郎ども! 油断するんじゃないよ!気を締めてかかりな!」
黄色の龍に斧の旗印、マルガレーテ・フォン・ハイネマン率いるワイバニア第九軍団。
「山を下りるぞ。敵軍の後方に出て退路を絶つ。……ハイネには恨まれることになるだろうがな」
青色の龍に稲妻の旗印、マンフレート・フリッツ・フォン・シラー率いるワイバニア第三軍団。三個軍団、三〇〇〇〇の兵力はそれぞれにメルキド軍に襲いかかっていった。
要塞の火の手と、味方軍団の旗を見たハイネは、拳を握って激怒した。
「やってくれた……。やってくれたな、ジギスムント!」
その美しい金髪を怒りに揺らせ、ハイネは皇帝の名を叫んだ。この戦闘は、最初から茶番だったのだ。自分は敵軍の注意を引き、他の軍団を攻撃位置へ布陣させるための囮に過ぎなかった。それはハイネの誇りを著しく傷つけた。しかし、ハイネにとって何よりも許せなかったのは、卑劣な横やりによって、一対一の戦いが汚されたことだった。
「く、くくく……あーっはははは! あのクライネヴァルトの怒りにふるえる姿が目に浮かぶ!」
伝令から戦況を報告されたジギスムントは皇帝本陣にしつらえられた椅子から転げ落ちる程、腹を抱えて笑った。
「ひどい人。あの気性の第一軍団長がどう出るかわかっているくせに」
シモーヌが体をくねらせてジギスムントの隣に腰掛けた。
「この作戦を考えた魔女が何を言うか。シモーヌ。悪い女だ……」
「あら、女は皆、悪いものよ。気づかない男が馬鹿なだけ」
シモーヌは妖艶な笑みを讃えて広げられた陣形図を見た。そこには、ワイバニアの大軍に囲まれて、苦痛にのたうち回るメルキド軍の姿があった。