第三章 メルキド侵攻 第四十九話
「何と言うことだ! 敵に奇襲を許したあげく、余を危険にさらすとは……皇帝守護にあるまじき大失態だ!」
戦いの後、命からがら戦場を離脱することができたワイバニア皇帝ジギスムントは激怒した。彼はメルキド軍が皇帝専用テントに迫る寸前、ヴァルターが遺した歩兵一個大隊に守られ、窮地を脱していた。それでも命の危機に瀕した皇帝の怒りは凄まじく、戦場から派鳴れる間ずっとヴァルターをののしっていた。
「ヴァルター・フォン・ブッフバルトの軍団長称号を永久剥奪。ブッフバルトの生家、ブッフバルト男爵家は家名断絶の上、一族に北方での強制労役を課すものとする」
怒りで全身の血液が沸騰している若き皇帝は同僚の死を悼む軍団長達の前で言い放った。
「お待ちを。陛下。勝敗は戦いの常、それに戦死したブッフバルトは責任を果たして……」
ハイネがいい終える前にジギスムントはテントの外に響き渡るほどの大声で言った。
「黙れ! 一軍団長風情が、余に意見する気か!? 身の程をわきまえろ!」
ハイネは万の兵士ですらたじろがせるほどの殺気をみなぎらせて皇帝をにらみつけた。よく剣を抜かなかったものだと内心驚きはしたが、誇りを傷つけられたハイネはいかに皇帝と言えど許すことはできなかった。ハイネは拳を握った。
ふと、ハイネの拳を隣に座っていたシラーが押さえた。ハイネはシラーの方を見ると、シラーは何も言わず、ただ首を振った。
「ほほ、よろしいかの。陛下」
第四軍団長のグレゴールが好々爺然とした調子で口を開いた。
「ブッフバルトの歩兵大隊がおらなんだら、陛下は今頃戦場から離脱出来ず、こうしてわしらの前で大声で怒ることなどできない体になっておったのかも知れんのだぞ。感謝こそすれ、罰するというのはいささかやり過ぎと言うもんだて」
「貴様も余に意見すると言うのか?」
「わしが、じゃ。もう年じゃからの。わしにはもう、失うものも、欲しいものも何もない。若いもんがくだらんことで地位や部下を失うくらいなら、わしが代わりになってやるわい。北方で強制労働かの? これから熱くなるでのぅ。年寄りにはちょうどいいわい。それとも、この老いぼれの首をはねるかの?」
「貴様!」
ジギスムントは怒り心頭に達し、剣を抜いて椅子に腰掛けていた老将の首につきつけた。だが剣は、グレゴールの首に当たる寸前でとまり、一向に動かなかった。
「どうした? 小坊主。こんな老いぼれの首すらとれんか……?」
ハイネをはるかに上回る殺気のこもった目で、グレゴールはジギスムントをにらんだ。ザビーネをすら萎縮させた殺気がジギスムントに叩き付けられ、ジギスムントは白目をむいて昏倒した。