第三章 メルキド侵攻 第二十九話
帝都ベリリヒンゲンにあるワイバニア軍大本営、翼将宮左元帥執務室では、軍人最高位である左元帥のハンス・フォン・クライネヴァルトが忙しく各所に指示を出していた。
ワイバニア、いやアルマダ史上最大の11個軍団による大遠征である。十一個軍団分の補給物資の調達と輸送、負傷者の後送に補充兵の補充などの後方支援は困難を極め、これを完璧に指揮しうるのは左元帥のハンスをおいて他にいなかった。仕事を一区切りさせたハンスは自分の椅子の背もたれに体重を預けると、大きく息を吐いた。
「閣下。少しおやすみになってください。このままでは、閣下のお体が保ちません」
左元帥補佐官のアントン・メーリングがコーヒーを差し出して言った。年齢は二四歳と若いが、よくハンスを支える有能な補佐官だった。
「私も休みたいものだが、なかなか戦いがそうさせてくれないのでな。この戦いが終わったら、休みも考えることとしよう」
メーリングがいれたコーヒーを一口飲んで言った。
「それはそうと、例の件はどうなっている? 出撃直後に召喚命令は出しているから、そろそろはずだが……」
ハンスは傍らの補佐官に尋ねた。
「予定では、今日着くとのことですが……」
メーリングが言いかけたそのとき、執務室の扉をノックする音が聞こえた。メーリングが出ると、伝令の兵士がハンスが呼んだ士官二人の来訪を告げた。
「すぐ、二人に執務室に来るように伝えよ」
ハンスは伝令に指示を出すと、メーリングに言った。
「メーリング、二人に渡す辞令と、龍の眼を持ってきてくれ。それにしても、この二人が軍団長になると知ったら、ハイネの奴も驚くかも知れん」
ハンスは少し冗談めかした笑みをうかべるのを見た若き補佐官はわずかに苦笑した。軍記に厳しく、常に冷静な雰囲気を持つ左元帥閣下もまた、人の親なのだろう。そのミスマッチにメーリングは笑みをこぼさずにはいられなかった。
メーリングが辞令と龍の眼を用意し終えると同時に、再び執務室の扉をノックする音がした。
「マンフレート・フリッツ・フォン・シラー、ベティーナ・フォン・ワイエルシュトラス。左元帥閣下の召喚命令を受け、参上いたしました」