第三章 メルキド侵攻 第二十四話
「わたしがタッソー要塞司令官、レグロンです」
レグロンはマレーネに挨拶をした。背筋を伸ばし、堂々とした立ち居振る舞いはメルキド武人の意地をマレーネに感じさせた。たとえ、戦で負け、剣折れることはあっても、心は折れてはならない。メルキドの誇りをレグロンは身にまとっていた。
交渉の場を司令室に移したレグロンはテーブルにつくなり、マレーネに言った。
「アウブスブルグ公。我々タッソー要塞守備兵は貴軍の降伏勧告を受諾します」
レグロンは冷静に、そして、堂々と言葉を紡いだが、心の中では未だ葛藤の中にあった。降伏すると言ったものの、その手がわずかに震えているのを副官のキスールは見ていた。
「つきましては、部下に対する寛大な処置をお願いしたい」
レグロンの声がわずかだがかすれた。口上としては申し分のないものだったが、それを受け入れるのは、また違う。この瞬間、メルキドの武人は自分の敗北を、ようやく受け入れたのである。
「ワイバニア軍最高外交指揮官として、そしてワイバニア帝国軍人の名誉に誓ってお約束いたします。貴官のご英断に感謝いたします」
マレーネはレグロンに深く一礼した。
二時間後、メルキド軍とワイバニア軍との間で、タッソー要塞の引き渡しが行なわれた。要塞内の機密情報は処分されたものの、それ以外は万全の状態であり、ワイバニア軍はいささからながらの時間はかかったものの、メルキド侵攻の拠点を無傷で、しかも味方の損害なく手に入れたのだった。
後年、”タッソーの奇跡”と呼ばれたこの戦いは、アルマダの歴史において数少ない流血のない勝利として高く評価されている。
タッソー要塞の引き渡しのあと、マレーネは司令官のレグロンを含む守備兵全員を解放した。
「どういうことですか? 我々は捕虜ではないのですか?」
レグロンはマレーネに尋ねた。
「降伏交渉のとき、わたしはこう申し上げたはずです。寛大な処置を、わたしの地位と名誉にかけて誓うと。わたしはただその誓いを守っただけのことです」
マレーネはレグロンをはじめ、タッソー要塞の兵士に向けて微笑んだ。レグロンはマレーネの処遇に感謝すると、何も言わず深々と頭を下げた。武人としての挨拶はこれで全て十分だった。マレーネはレグロンの意思を汲み取ると、静かに振り返り、自軍へと戻っていった。
「我々はあのように見事な武人を相手に戦っていたと言うのか……」
歩いていくマレーネを見送りながら、レグロンは言った。
「はい。……ところで、司令官はこれからどうなさるおつもりですか?」
キスールは頷くと、隣に立つ上官に尋ねた。
「わたしは戦う。せっかく敵将がくれた命だがな。メルキド武人として国を守るのがわたしの務めだ。わたしは戦う意思のある兵士を連れて、アーデン要塞に向かう。脱落者は多いだろうが、覚悟の上だ」
「わたしもお供します。司令官。今度は存分に我々の力、ワイバニアに見せつけてやりましょう」
敗軍の将である二人は互いに覚悟を決めた。だが、そこには敗北感や悲壮感は微塵もなく、尊敬に値する敵手と再びまみえることのできる、戦士としての喜びに満ちあふれていた。
こうして、星王暦二一八三年五月十日、メルキド公国国境の堅城、アドニス要塞群はわずか一日で陥落した。