第三章 メルキド侵攻 第二十一話
タッソー要塞司令官のレグロンは包囲をしても、いっこうに動くことのないワイバニア軍にいらだちを感じ始めていた。
「ワイバニア軍め。我々を日干しにするつもりか」
レグロンは双眼鏡越しに並び立つ兵の群れを見ながら歯ぎしりした。タッソー要塞は平地に築かれた他の要塞とは異なり、巨大な岩山を切り出して作り上げられた堅城である。デミアン要塞には及ばないものの、国境守備の拠点として、確かな防御力を誇っていた。
「玉砕してでもワイバニア軍を止める」
要塞を包囲するワイバニア帝国の大軍を前に、レグロンが不退転の決意を固めていると、副官のキスールが彼のもとにやってきた。
「司令官。敵軍から矢文です。内容は……」
「言わずとも分かる。降伏勧告だろう。無視しろ」
レグロンはマレーネからの降伏勧告を黙殺した。要塞を枕に討ち死にを覚悟した者に何を言うか。レグロンは心の中で敵の司令官をののしった。
「敵要塞に動きはありません」
伝令の報告を受けたマレーネは苦笑した。
「どうやら、フラれちゃったみたいね。再度矢文の用意を。敵方に動きがあるまで繰り返しなさい」
マレーネは部下に命じた。
「僕……いえ、わたしにはマレーネ様のお考えが理解出来ません。戦場で敵手と見え、刃を交わすは武人の本懐であると士官学校で教わりました。どうして、わざわざ、時間をかけて戦わない方法をとるのですか?」
エアハルトはマレーネに尋ねた。純白の鎧を身にまとった女軍団長は、二つ名に違わぬ聖母のような笑みを副官に向けて答えた。
「エアハルト。あなたに家族はいる?」
「ベリリヒンゲンに両親と妹が……」
「では、もしあなたが死んだら、ご家族は悲しまれるかしら?」
「悲しむと思います。家族を失う訳ですから」
少年は少しうつむき加減になって答えた。一七歳の士官学校出たての少年には、初めての戦場は辛すぎるのであろう。少年の身体は戦場にあるが、心はベリリヒンゲンの家族のもとにあるのかも知れない。マレーネは少年を見て思った。
「そう。悲しまれると思うわ。でもね。エアハルト。それは敵も一緒なの。あなたと同じで敵にも家族がいる。戦いとはいえ、わたしは家族を失うことはしたくはないわ」
マレーネの口調は優しかったが、その眼には強い意志の光が宿っているのをエアハルトは見逃さなかった。
敵軍から使者がやって来たとの報をマレーネ達が聞いたのは、これから少し後のこと、一四回めの矢文が敵に届いた頃だった。




