第三章 メルキド侵攻 第二十話
タッソー要塞を完全包囲したマレーネ・フォン・アウブスブルグ率いるワイバニア第二軍団は包囲を完了して八時間が経過したが、いっこう動こうとしなかった。
「どうして動かないのですか? マレーネ様。我々は敵の三倍強、要塞を駆逐するのには十分な戦力があると思います」
アンジェラ付きの副官兼従卒のエアハルト・フォン・シュライエルマッハは上官に尋ねた。士官学校を卒業したばかりの十七歳の少年将校は、純粋無垢な青い瞳でアンジェラを真っすぐ見つめていた。
「エアハルト。戦いの中で最も大切なことは何か分かる?」
陣中の粗末な椅子に腰掛けたマレーネは優しく副官の少年に問いかけた。
「戦いに勝つこと……ですか?」
「そうね。それも大切。でも、本当に大切なのは誰も死なせないことなのよ。しっかりと、わたし達の戦いを見ておきなさい」
まるで、先生が生徒に教えるように、優しくマレーネは今回初陣である少年に言った。マレーネが言い終えるとすぐに司令部直衛大隊長のエドワルド・フォン・マンシュタインが報告にやってきた。
「軍団長。ベリクリーズ要塞から火の手を確認しました。残るはこのタッソー要塞だけです」
「そう……。直ちに矢文の用意をなさい。降伏を呼びかけるのです。我々は無益な争いを好まないと」
マレーネは部下に降伏勧告を用意するように命じた。アドニス要塞攻防戦の中で唯一流血を生じなかった戦いが始まろうとしていた。