第三章 メルキド侵攻 第十九話
だが、現実はそうはいかなかった。石兵の拳がハイネを殴りとばしたと思った刹那、ハイネは残像を残して姿を消し、石兵の腕は空しく空を切った。
「無粋だな。わたしは司令官と話の最中だ」
次の瞬間、ボルガの頭上からハイネの声が聞こえた。ハイネは石兵の肩に乗り、愛剣を石兵の装甲の隙間から操縦する兵士に突き刺した。その深さは兵士の身体に触れるか、触れない程度の傷であったが、兵士は恐怖のあまり気絶して、石兵ごと地面に膝をついて倒れた。
「三度めだ。降伏せよ。降軍の処遇に関しては、ワイバニア帝国軍第一軍団長、ハイネ・フォン・クライネヴァルトの名誉にかけて寛大なものにするよう約束する」
崩れ落ちる石兵から飛び降りたハイネは、風に流れる緋色のマントをつかんで言った。
「わかった。降伏する。わたしはともかくとして、部下達にはどうか、寛大な処置をお願いする」
ボルガは握り拳をつくり、うつむいて言った。覆しようのない、絶対の敗北を悟ったのだ。アドニス要塞群、最西端の要塞ベリクリーズ要塞はこうして陥落した。
「要塞を焼き払え! 遠目にもわかるようにな」
敗残兵を要塞外に出し終えたハイネは、部下に要塞を焼き払うように命じた。
メルキドの守備兵達は燃え盛る要塞を見て涙し、膝をついた。ハイネは兵士達の姿を見ると、真紅のマントを翻して彼らに背を向けた。
「ベリクリーズ要塞の守備兵は全滅した。まったく、嫌な戦いをしたものだ」
ボルガは驚いた。ハイネは要塞を燃やす代わりに、自分たちを見逃そうと言うのだ。ワイバニアとは幾度となく戦ってきたが、このようなことは一度もなかった。ボルガは思わずハイネに尋ねた。
「何故だ? 我々は捕虜になるのではないのか?」
ハイネは振り向こうとせずに答えた。
「我々は悪魔ではない。無益な殺生は好まぬ。貴公らは自由だ。故郷に帰るもよし、再び我らと刃を交えるもよし。好きにするがいい」
ボルガはハイネの言葉を聞き、深々と頭を下げた。ボルガ率いる要塞守備兵三〇〇〇名は要塞に別れを告げると、南に向けて歩いていった。
「これで、アウブスブルグとの約束は果たした。タッソーはどうなっているか……」
ハイネは遥か東の空を見上げた。戦場の空は燃え盛る炎に彩られ、赤くゆらめいていた。




