従軍記者の日記 91
しばらく通路を走ったところで、嵯峨は止まるように合図した。そのまま腰をかがめ、ライフルを構えながら三メートル程距離をとって音を立てないように立ち止まるクリス。嵯峨は懐から手鏡のようなものを出し、大き目のドアの隙間に翳す。しばらくの沈黙の後、嵯峨の手が動いた。出されたハンドサインは、三人の敵が部屋の奥で背中を向けているという状況とその一人を嵯峨が撃ったら突入しろと言うものだった。
クリスの左手が持っているライフルのハンドガードが汗で滑る。
嵯峨はすばやく突入した。拳銃の発射音が一つ。クリスが中で見たのは、倒れようとするアメリカ陸軍の制服を着た将校と、白衣の二人の技術者が手を上げる様だった。
「はい、そこまで」
嵯峨はそう言うと二人の技官に銃口を向けていた。
『君は?』
二人のうちアフリカ系の眼鏡をかけた長身の技術者が口を開く。英語である。
『あんたねえ。自分の研究知ってるんでしょ?そうしたらその一番有名な実験材料の……』
嵯峨が英語で返した。発音はかなりイギリス風なのがクリスには気にかかった。
『コレモト・サガ!』
もう一人のアジア系と思われる小柄な女性技官が叫んだ。アフリカ系の技官もその意味に気づき、驚きの表情を浮かべる。
『俺以外にこんなところに文屋さんを引き連れてやってくるような酔狂な指揮官がいるのかねえ』
嵯峨はそう言うと拳銃を降ろしてすぐさま胸のポケットにタバコを探す。イギリス訛りのきつい言葉に思わず渋い顔のクリス。
『目的は?』
女性技官の恐れを秘めた表情に、嵯峨は残忍な笑みで返した。
『言わなきゃ判りませんか?』
そう言うと嵯峨は電源が入っている奥の端末に歩み寄る。 二人の技術者の監視の下、次々と画面をクリアーしていく嵯峨。だが、女性技官にはかなり余裕があった。
『無駄よ。そう簡単にパスワードがわかる訳無いじゃないの!』
『ああ、これでしょ?必要になるキーは』
嵯峨はすぐさまタバコと一緒に取り出していたディスクを端末のスロットに差し込んだ。 タバコに火が付く、煙が上がる。端末にパスワードを入力する画面が開く。驚いた表情の女性技官の前で、躊躇せずパスワードを入力する嵯峨。
『はい、ホプキンスさん。特ダネですよ』
嵯峨はそう言うとクリスの方を向き直った。その時、アフリカ系の男がくるぶしに隠し持っていた拳銃を抜こうとした。
しかし、銃口は嵯峨に向くことは無かった。男の腕は彼の目の前で不自然に下を向いた。男の悲鳴が部屋にこだまする。そして、下に捻じ曲げられた手首からはだらだらと鮮血が流れ落ちた。
「だから、俺は嵯峨惟基なんだよ」
日本語で吐き捨てるように言った嵯峨。同僚に駆け寄る女性技官の表情に恐怖がにじんでいる。
『俺はね、嵯峨惟基なんだよ。あんた等がそうした。パンドラの箱を開けたのはあんた等、アメリカ陸軍だ』
嵯峨は一語一語確かめるような調子で二人に向かい言い放った。