従軍記者の日記 9
司令室に入ったとたんに猛烈なタバコの匂いが入るものに容赦なく襲い掛かる。クリスは思わず鼻を押さえた。
「すいませんねえ、今、窓開けますから」
そう言って窓を開く嵯峨。その妙に人懐っこいところが鼻に付く。クリスはそう思いながら部屋を見渡した。そしてすぐにこの部屋の異様さに気づいた。室内にしみこんだタバコの匂いだけがクリスを驚かせたわけではなかった。部屋中に広がる書類や銃器の部品。そして暑く積もっている鉄粉のような埃。
「別に面白いものは無いでしょ。どうにも片付けると言うことが苦手でしてね、私は」
そう言って嵯峨は連隊クラスの部隊司令にふさわしいゆったりとした皮の椅子に腰掛けた。その目の前では上に置かれたガラクタが積み上げられて完全に機能を失っている大きな机がある。
「私は整理整頓と言うのが出来ない質でしてね。娘にはいつも叱られてばかりですよ」
「娘さん……茜さんでしたね。おいくつになられますか?」
クリスの頬を外からの風が撫でる。ようやく新鮮な空気が入ってきたことで少しばかり表情を和らげることができた。
「12歳になりますよ。今は東和の中学に言ってるはずですがね。本来はこっちの学校に行かせたかったんですが、本人が東和で弁護士をやりたいと言うものでして」
そう言うと嵯峨はくわえっ放しだったタバコに火をつけた。この奇妙な人物に子供がいる。しかも娘が二人いることをクリスは思い出していた。
「そう言えばもう一人、双子のお子さん……楓さんでしたか。そちらは?」
嵯峨はタバコの煙を胸いっぱいに吸い込むと、ようやく落ち着いたと言うように腰の刀をベルトから外そうとした。
「ああ、あいつは胡州の海軍予科前期校に受かったって言ってたな。知ってます?胡州の軍学校もようやく男女共学になったらしいんですよ。俺のときは野郎ばかりでむさ苦しくってねえ」
「はあ」
そう言いながらテーブルの埃を指でかき回している嵯峨。クリスはまだこの男のことが図れずにいた。
「失礼します」
扉が開き、女性の士官が一人と女性技官が二人、書類を持って現れた。背の高いライトグリーンのツインテールの髪の女性士官と、幼く見える技官の徽章をつけたショートカットの黒い髪の士官の切れ長な目が不審そうにクリス達を見つめる。その攻撃的な視線を避けた先、銀色の髪の女性技官の姿にクリスの目は釘付けにされた。ボーイッシュなショートカットのその技官の頬を機械油のはねた後が飾っている。そんなクリスの視線に気がついたのか、技官は軽く微笑むと、上司らしい小柄な東アジア系のように見える先ほどの厳しい目つきの士官の横で直立不動の姿勢をとった。
先頭を歩いてきた士官はクリスをまるで無視すると書類を嵯峨に手渡した。
「こちらが二式の運動性能テストの結果です。すべて隊長が出された必要運動性能はすべてクリアーしています」
嵯峨はそれしか言わない少女に目を向けた後すぐに手にした書類をめくり始める。
「やるねえ、菱川の技術陣も。前の試作機はかなりぼろくそにけなしてやったからな」
そう言うと嵯峨はクリスの方を見た。部屋を出るべきタイミングらしいと思い、埃だらけのソファーから立ちあがろうとしたクリスとハワードを手で制する嵯峨。
「ああ、この人達が例のお客さんだ。クリストファー・ホプキンスさんにハワード・バスさんだ」
「失礼しました。私がセニア・ブリフィス大尉です。そしてこちらが……」
地球人にはなりライトグリーンの髪。おそらくこの遼州系ではよく見るクローン人間だろうとクリスは思った。だが彼の先入観にある神の禁秘に触れた忌むべき存在と呼ぶには彼女はあまりに生き生きとした表情を浮かべている。むしろ手前の小柄なアジア系の少女士官の方がどこかぎすぎすした空気をまとっていた。
「許明華技術中尉です。そして彼女がキーラ・ジャコビン曹長」
たぶん自分が地球のそれも敵対するアメリカ軍にも顔の効く記者だと知っているのだろう。少女は不機嫌だと言うことを強調するようにそう言った。
「キーラ・ジャコビンです!」
赤みを帯びた瞳でクリスを見つめるキーラに、思わずクリスは自分の顔に動揺が出ているのではないかと焦りを覚えた。人造人間の開発は遼州外惑星の国家ゲルパルトが大々的に行っていたことは有名な話だった。技術上の問題点から女性の生産が先行して行われたものの戦争に間に合わず彼女達の多くが培養ポッドの中で終戦を迎えた。
生まれるべきでない彼女達の存在。アメリカ等の地球諸国は培養ポッドの即時破壊を主張し一方で彼女達の保護を主張する東和や遼北との間の政治問題となったことを思い出した。そしてそのを主張する保守派をまとめていたのがクリスの父親だったことを思い出して自分の頬が引きつるのをクリスは感じていた。
「そう言えば、ホプキンスさん。先月号のソルジャーオブフォーチュンの記事は興味深かったですねえ」
そして悪意は別のところから飛んできた。皮肉のこめられた明華の視線。確かに軍の機関紙で北兼軍閥の危険性を説いた記事をクリスが書いたのは事実だった。にらみ合う二人。それに負ければ技術系の説明はすべて軍事機密で通されるかもしれないと、気おされずににらみ返すクリス。だが、その幼げに見える面差しの明華は嘲笑のようなものを浮かべてクリスとハワードを眺めるだけでただ沈黙を続けるだけだった。