従軍記者の日記 77
ムジャンタ・ライラ。
東海に拠点を持つ花山院軍閥は、ゴンザレス政権の登場と共に東和の支援を得て遼南共和国からの独立を宣言した。その皇帝に据えられたのはムジャンタ・バスバ。ライラの父、嵯峨の同じ母親を持つ弟である。
二年前。北兼軍閥は人民政府に協力を求められ、花山院軍閥を攻めた。花山院軍閥は猛将として知られる花山院康永少将を中心に善戦するが、突然奇襲をかけた北兼軍閥相手に敗北を喫した。攻撃指揮を取っていた嵯峨は、弟、バスバの引渡しを条件に兵を引くとの条件を出した。自身の保身の為、軍閥の首魁である花山院直永はムジャンタ・バスバの妻子を嵯峨に引き渡した。嵯峨は躊躇無く弟の首を落として東海街道に晒した。兄の翻心に激怒した康永はバスバの妻子を連れ東モスレムを頼って落ち延びて行った。それが嵯峨の悪名を高めた東海事変の顛末だった。
敵意むき出して、クリスの方を見つめてくるライラの気持ちもわからないではなかった。
「お湯持って来ました」
二十歳にも満たない共和軍の少年兵がポットと湯のみ、そして急須などをテーブルに置いてまわる。
「なぜ、あなたはあの人でなしの取材をしているんですか?」
「やめるんだ、ライラ」
「いいでしょ!私はそこの記者さんに用があるの」
強い調子でジェナンに言い放つと、ライラはクリスに迫ってきた。
「君はあだ討ちでもするつもりなのか?」
クリスの問いに少女はテーブルを叩く。
「当たり前よ!あの卑怯者は花山院直永を騙してお父様を殺したのよ!軍閥の頭目に収まってのうのうと暮らしている権利なんて無いんだわ!」
まわりの共和軍の兵士達は黙ってライラを見つめていた。
「感情に流されているが言っていることはもっともな話だ。私も嵯峨と言う人物が持つ残酷さを取材する為にこの遼南にやってきたんだから」
クリスは少年兵に継がれた日本茶を口に含んだ。遼南の南部地方の茶畑は地球でも珍重される南陽茶の産地である。この甘みを含んだ茶を飲めることは遼南の取材を始めた時からの楽しみだった。
「じゃあなぜそんな残忍な男の乗る特機なんかで取材にまわってるのよ!」
クリスの一息ついたような顔にライラの苛立ちはさらに募った。
『俺もだいぶあの昼行灯に毒されてきたな』
そんなことを思いながらクリスは湯飲みをテーブルに置いた
「そうだな。私もよくわからない」
クリスの言葉に、ライラの表情が侮蔑のそれに変わった。だが、クリスは言葉をつないだ。
「しかし、彼は一からこの北兼台地の北に広がる地域の軍閥の首魁となった。そして彼を慕う多くの兵士達が今も戦っている。その理由を私は知りたいんだ」
クリスはそう言うとライラの顔を見た。戸惑いのようなものがそこにあった。クリスは彼女に多くを語るつもりは無かった。戦場で、憎しみと悲しみを経験した人々を取材しながら得た作法。彼ら自身が今の自分を落ち着いてみることが出来なければ語りかけるだけ無駄なことだ。そんな教訓が頭の中をよぎっていた。