従軍記者の日記 72
「あのー」
一人の若い下士官が微笑みながら顔を覗き込んでくる嵯峨の独特な雰囲気に耐え切れずに声をかけてきた。
「はい、何でしょう」
嵯峨はそう言うとくわえていたタバコを、ズボンのポケットに入れていた携帯灰皿に放り込む。
「あなたは本当に嵯峨中佐なんですか?」
彼の指摘ももっともなことだとクリスは思った。北兼軍閥の指導者として多くのメディアに流布されている重要人物がほとんど手ぶらで敵陣にやってくるなど考えられないことだ。
「ああ、仮面はしてますが本人ですよ」
そう言うとまたタバコを取り出し火をつける。
「ああ、なんで俺が自分で出てきたかって聞きたいんでしょ?まあ、アサルト・モジュールでの敵中突破、それにその後の交渉ごととか、任せられる人物がいなくってねえ。どこも人手不足ってことですよ」
そう言いながら笑う嵯峨。兵士達はお互い顔を見合わせた。
「しかし、我々がここであなたの身柄の拘束をするとか……」
「ああ、それは無理」
中年の兵士の言葉をすぐさま嵯峨はさえぎった。
「なんでこのヘルメットしてると思います?」
嵯峨の口元が笑っている。こういうときの子供のような目つきを思い出してクリスは危うく噴出すところだった。
「趣味ですか?」
下卑た笑いを浮かべる無精髭の古参兵。その表情に嵯峨は笑みで返した。
「あのねえ、コイツは思念波遮断の効果のあるヘルメットでしてね。たとえば人間の心臓の動脈はどれくらいの太さがあると思いますか?」
謎をかけるように嵯峨は兵士達を見回した。
「まあ、答えはどうでも良いんですがね。噂には聞いてるんじゃないですか?遼州王家の血を引くものに地球人には考えられない力を持つものがあるってこと」
嵯峨はそれだけ言うとまたタバコをふかす。彼の狙いはみごとに決まっていた。人間の心臓の動脈、王家の力。
一つの都市伝説として知られる『王家の力』。それは透視、空間干渉、思念介入と言った超能力者の部類に入るような力を持った存在がいるらしいというものだった。遼南王家は一切その件には沈黙を守っていただけに真実味がある。兵士達の顔が不安に包まれる。
「安心していいっすよ。俺は今のところそんな力を使う気は無いですから」
「じゃああなたは力が使えるんですか!」
幼く見える少年兵士が叫んだ。
「どうでしょうねえ。否定も肯定もできませんね、使えるかもしれない……あるかもしれない。そんなところでしょうか?不気味でしょ?それが俺の切り札でね」
そう言うと嵯峨はヘルメットの下から見える頬を緩めた。