従軍記者の日記 4
今相手にしているのは遼南人民党党員の政治将校。そんなクリスの視線は悪意に変わった。
「つまり日本語のしゃべれるアメリカ人の戦場ジャーナリストなら誰でも良かったということですね」
クリスは皮肉をこめて言ったつもりだった。だが再びクリスに向き直った伊藤はあっさりと頷いた。
「たとえお前さんがタカ派で知られる合衆国上院議員の息子で、前の仕事がベルルカン大陸での海兵隊展開のプロパガンダ記事を書いた記者だろうがどうでも良いということだ」
薄暗い車内でカメラのレンズを磨いているハワード。彼の口に思わず笑みが漏れる。
「しかし、伊藤大尉。あなたは人民政府代表ダワイラ・マケイ教授直属で、高校時代からシンパとして活動しているそうじゃないですか。そのあなたがなぜ嵯峨惟基中佐の飼い犬のようなことをやっているのですかね」
皮肉には皮肉で返す。挑発的に伊藤を見るクリスの目が鋭くなる。記事で書くことと、取材で得た感想は多くの場合切り離して考えなければやっていけない。それはクリスにとってもはや常識としか思えなくなっていた。家を出て、アルバイトをしながらハーバード大学を卒業した彼がジャーナリストを目指したのは、彼に取材を頼む軍の幹部や政治家達を喜ばせるためでない。はじめのうちはそう思っていた。
しかし、この世界に身を置いているうちに、彼の正義感や真実を求めようとする情熱が、どれほど生きていくという現実の前で無意味かということは彼自身が一番理解していた。彼が出かける先に広がっているのは、すでに結論が出尽くした戦場だった。状況を語る人々は怯えるように版で押したような言葉を口にするだけだった。ただそれを脚色し、クライアントの機嫌を損ねず、そして可能な限り大衆を退屈させないような面白い文章に仕上げること。それがクリスの仕事のすべてだった。
これから向かう北兼州。そしてそこを支配する北兼軍閥の首魁、嵯峨惟基。父バスバにこの国を追われ胡州に逃れ、先の大戦では敗戦国胡州の非道な憲兵隊長としてアメリカ本国に送られ、帰還してきたと思えばこの内戦状況で対立した弟を眉一つ動かさずに斬殺した男。
クリスには少なくとも彼に好感を抱く理由は無かった。それはハワードも同じだった。それ以前にハワードはこの仕事をうけること自体に反対だった。
破格の報酬。検閲は行わないと言う誓約書。そして、地球人のジャーナリストとして始めての北兼軍閥の従軍記者となる栄誉。それらのことを一つ一つ説明しても、ハワードはこの話を下りるべきだと言い続けた。時に逆上した彼はコンビを解消しようとまで言いきった。
しかし、宥めすかして北天まで連れてきて、遼北からの列車を降り立った時、ハワードは急に態度を変えた。
『子供の顔が違うんだ』
ハワードはそう言った。カメラマンとして、彼は彼なりに自分の仕事に限界を感じていたのだろう。監視役としてつけられた伊藤はハワードがシャッターを切るのを止めることは一切無かった。
それどころか督戦隊から逃げてきたという脱落兵を取材している時に、駆け寄ってきた憲兵隊を政治将校の階級の力でねじ伏せて取材を続けるよう指示した伊藤にはたとえその思想がクリスには受け入れられないものだとしても伊藤と言う男が信念を持って任務を遂行していることだけは理解した。
もうトンネルに入ってずいぶんたつというのに、伊藤は相変わらず正面を見つめているだけだった。この政治将校が何故クリス達を優遇するのか、クリスは早くそのわけを知りたかった。