従軍記者の日記 30
女性指揮官の厳しい視線から逃れて走り去ったクリスの前に立派過ぎるアサルト・モジュール専用のハンガーには大きな入り口の女子トイレと、申し訳程度の男子トイレがあった。クリスは用を済ませるとそのまま辺りを見回してみた。パイロットスーツを着ているのは例外なく女性パイロット達であった。たまに整備隊員や連絡将校などに男性がいるものの彼らは非常に居づらそうにしている。クリスもまたそそくさと嵯峨の四式の前まで来た。
「惟基ならタバコを吸いに行ったわよ」
香麗はベンチに腰をかけていた。その前にはテーブルが置かれ、従卒の長身の女性将校に紅茶を入れさせていた。
「まあ、おかけになったらどう?今の情勢をアメリカ人記者がどう見ているか意見も聞きたいですし」
静かに紅茶の匂いを嗅ぎながら切れ長の目から鋭い視線がクリスに伸びる。
「そんな、私の意見が合衆国の意見だとは……」
「そういうことでは無いのよ。あなたのこれまで遼州を取材した感想を聞きたいわけ。ああ、紅茶はお飲みになる?」
「いえ、結構です」
残念そうな顔をしながら紅茶を入れていた赤い髪の将校を下がらせた。
「それは好奇心、ですか?」
「そうとも言えるし、そうでないとも……。見たでしょ?惟基の部隊の様子は」
無表情に見えた香麗がようやく笑みをこぼした。きついイメージの美女と言う感じが少し抜けてきた。
「まあ、かなり変わった人ですね、嵯峨中佐は。あの人は外務武官や憲兵隊などの後方任務上がりなのにまったく規律と言うものを気にしていないのは興味深かったですね」
「確かにそうかも知れないわね。一応あれでも私の従兄だから、子供の頃一回だけ会ったことがあるのよ。当時、惟基は遼南帝国の皇太子。はじめてみた時はまるで女の子みたいと思ったわよ」
「あの人がですか?」
クリスは意外に思った。どちらかといえば嵯峨は下品な行動が目立つ人物であることは一日彼の近くにいればわかる。
「青白い顔をして、大人の顔色ばかり窺っている変な子供。でも話してみて彼がそうなった理由もわかったのよ。生まれて初めて会った同じくらいの年の子供が私だったんですって。確か私は十歳くらい……彼は二歳上よね。弟のバスパにも会うことを許されず、一人で御所で勉強ばかりしてたって言ってたわ」
「青い顔でシャイな嵯峨中佐ですか。想像もつきませんね」
「でしょ?それで……」
「あのー。香麗さん。何話してるんですか?」
いつの間にか香麗の後ろに立っていた嵯峨が声をかけた。
「別にいいじゃないの。昔話よ」
香麗は微笑を浮かべながらそう言うと再び紅茶のカップを手に取った。