従軍記者の日記 29
「トイレ行っといたほうがいいですよ。ちょっと次に仕掛ける時は敵さんも腹をすえて来るでしょうから」
どこまでも舗装された基地の中央に着地して平然とそういいながら誘導員の指示でコックピットから降りた嵯峨。そのタラップのそばに秘書官らしい青い髪の女性を引き連れた女性士官が歩み寄ってきた。黒い髪が流れるように強風の中たなびいている。肩の階級章を見れば金のモールがついている。将軍クラスの階級であることはすぐにわかった。
「惟基!何のつもりでこんなところに来たの!」
表情は怒ってはいない、むしろ感情をかみ殺したような無表情を浮かべている。周香麗准将。現在は北兼軍閥の総司令官に君臨する彼女は、元はこの崑崙大陸北部を領有する遼北人民共和国人民軍第二親衛軍団司令官であった。遼北の政府における権力闘争で父、周喬夷軍務長官が事実上の幽閉状態に陥ると部下を伴ってこの北兼軍閥への亡命を求めた。
周喬夷は本名がムジャンタ・シャザーン。遼南帝国女帝ムジャンタ・ラスバの次男であり、嵯峨惟基にとっては叔父に当たる人物である。ある意味目の前で雑談している二人が妙になじんだ様子なのも従兄妹同士ということもあるのだろうとクリスは思った。
「タバコが吸いたくてね。ホプキンスさんはタバコをやらないから機内じゃあ吸えないじゃないの。それに香麗にも紹介しておいた方が……」
「まあいいわ。どうせあなたに何を言っても聞かないでしょうから」
「いやあ、そんなつもりは無いんだけどね」
そう言うと嵯峨は胸のポケットからタバコを取り出そうとする。
「基地内は禁煙よ。ちゃんと喫煙所で吸いなさい」
「硬いこと言うなよ」
「それが組織と言うものです!」
ようやく怒りが香麗の表情に浮かんできた。嵯峨はタバコをあきらめるとそのまま補給が始められた愛機の方に歩き出した。
「あの……トイレは?」
クリスの質問に指で答える香麗。クリスはそのまま彼女の指差した方に駆け出した。噂どおりだった。
『魔女機甲隊』
遼北人民共和国建国の父と呼ばれる遼北の首相周喬夷の一人娘、周香麗はアサルト・モジュールパイロットとしては天才と評される人物だった。先の大戦時、胡州の勢力化である濃州アステロイドベルトの戦いで宇宙艦隊の半数を失って遼州、崑崙大陸北部に押し込められた遼北は英雄を必要としていた。
それが彼女率いる『魔女機甲隊』だった。第二次世界大戦におけるロシア空軍の『魔女飛行隊』から取ったその異名は、エースの香麗の活躍で遼州にその名を轟かせた。戦後、接収した人造人間製造プラントで造られた人造人間達がこの部隊に参加し、一個師団規模に拡大され、遼北を代表する部隊となった。
しかし、遼北で唐俊烈国家主席と父である周喬夷との軋轢が生まれると、その勇名は仇となった。解散、そして幹部の粛清が行われるとの噂に、香麗は部下たちの安全を図るために従兄の嵯峨がいる遼南に亡命を決意した。そうして北兼軍閥は人民軍、共和軍、花山院軍閥、南都軍閥、そして東モスレムと言った割拠する軍閥に伍する地位を得ることとなった。