従軍記者の日記 22
「そうですよ。ありゃあ酷い戦場だったねえ」
そう言いながらテーブルの上のやかんに手を伸ばすと、近くに置いてあった湯飲みにほうじ茶を注いだ。聞かれることを判っている、何度と無く聞かれて飽きた。嵯峨の大げさな言葉とは裏腹に表情は暗い。それを見てクリスは少しばかり自分が失敗したことに気付いていた。
「ここから三百キロくらい西に新詠という町がありましてね。そこで編成した私の連隊の構成員は千二百八十六名。うち終戦まで生きていたのが二十六名ってありさまですからね」
圧倒的な遼北の物量を前に、敗走していく胡州の兵士の写真はクリスも何度も見ていた。胡州から仕掛けた戦いだった遼南戦線は見通しの甘さと胡州の疲弊振りを銀河に知らしめるだけの戦いだった。
初期の時点でアサルト・モジュールなどの機動兵器の不足がまず胡州の作戦本部の意図を裏切ることになった。作戦立案時の三分の一の数のアサルト・モジュールはほとんどが旧式化していた九七式だった。その紙の様な装甲で動きは鈍いが重武装で知られるロシア製のアサルト・モジュールをそろえていた遼北軍を相手にするのは端から無理な話だった。すぐに駆けつけた西モスレムの機動部隊は胡州・遼南同盟軍の横腹に襲い掛かり、宇宙へ上がる基地はアサルト・モジュールを使った大規模な電撃戦で瞬時に陥落した。
彼らが無事に胡州の勢力圏へと帰ろうと思えば、遼南帝国ムジャンタ・ムスガ帝を退位に追い込んだ米軍とゴンザレス政権同盟軍への投降以外に手はなかっった。遼北による捕虜の処刑の噂は戦場に鳴り響いており、反枢軸レジスタンス勢力による敗北兵狩りは凄惨を極めていた。さらにそんな彼らの前に延々数千キロにわたって続く熱帯雨林が立ちはだかった。指揮命令系統はずたずたにされ、補給など当てに出来ない泥沼の中、彼らは南に向かって敗走を続けた。
嵯峨の指揮していた下河内混成特機連隊も例外ではなかった。彼らは殿として脱落兵を拾いながら南を目指した。当時の胡州陸軍部隊の敗走する姿は胡州軍に投降を呼びかけるビラを作成する為、民間人を装い彼らに近づいた地球側の特殊潜行部隊に撮影されていた。
兵士の多くが痩せこけた頬とぎらぎらした眼光で弾が尽きて槍の代わりにしかならないだろう自動小銃を構えて膝まで泥につかり歩いている。その後ろには瀕死の戦友を担架に乗せて疲れたように進む衛生兵。宇宙に人類が進出したと言うのにそこにあるのは昔ながらの敗残兵の姿だった。
文献を見ても蚊を媒介とする熱病が流行し、生水を飲んだものは激しい下痢で体力を失い倒れていったと言う記述ばかりが目立つ戦いだったと言う。住民は遼北、アメリカの工作員が指導したゲリラとして彼らに襲い掛かるため昼間はジャングルの奥で動くことも出来ずに、重症の患者を連れて行くかどうかを迷う指揮官が多かったと伝えられている。置いていくとなると負傷者には一発の拳銃弾と拳銃が手渡されたと言う記録もある。
その地獄から帰還した歴戦の指揮官。しかし、そんな面影など今目の前でカレーうどんを食べ続けている嵯峨には見て取ることができなかった。
「食べないんですか?」
嵯峨はそう言ってクリスとハワードを眺めるが、すぐに切り替えたようにうどんにカレーの汁をなじませながらぱくついていた。
「いえ、やはりあなたでも昔のことを思い出すんですね」
クリスの言葉に一度にやりと笑ってからどんぶりに箸を向ける嵯峨。その表情がゆがんだ笑みに満たされているのが奇妙でそして悲しくもあるようにクリスには見えた。
「まあ、私も人間ですから。思い出すことだってありますよ。ここの土地には因縁がある。特に私には特別でね」
そう言うと今度は隣のサラダを口に掻きこみ始める。クリスもそれにあわせて慣れない箸でうどんを口に運んだ。
「ああ、そう言えば攻略地点を知らせてなかったですね」
呆れるようなスピードでサラダを口に掻き込んだ嵯峨はそう切り出した。胡州の最上流の貴族の出だと言うのにまるで餌のようにサラダを食い尽くした嵯峨には驚かされた。
「攻略と言うか、上手くいけば戦闘をせずに行けるところなんですがね。この夷泉の南にある兼行峠の向こう側に村が一つあるんですよ」
嵯峨は落ち着いたというようにほうじ茶に手を伸ばす。細かい地名を図も無く教えられてぼんやりと話を聞くことしか出来ないクリスとハワード。そんな彼等を気にする様子も無く嵯峨は言葉を続ける。
「まあ、かなり前に廃村になっているんですが、そこならこれから先の北兼台地の鉱山施設制圧作戦の拠点になると思いましてね」
そのままほうじ茶を一息で飲み干す嵯峨。クリスもハワードもまだカレーうどんを半分以上残していた。
「そこを橋頭堡にするわけですね」
クリスの言葉を否定も肯定もせずに嵯峨は胸のポケットに入れたタバコの箱を取り出し、手の中でくるくると回して見せた。