従軍記者の日記 20
夕暮れを告げる風が大きなもみの木を揺らす。少女が一人、そんなもみの木のこずえに座っていた。
「なんか変……」
そう言う少女の手には横笛が握られ、器用にバランスを取りながら笛を口に乗せる。悲しげな旋律が木の上を旋回するように始まった。元の色が分からなくなるほど着古されたポンチョ、破れかけたズボンは澄んだ木々の陰に広がる闇の中でも彼女が一人でこの森に暮らしていることを知らせるものだった。峠から吹き降ろす風は冷気を帯びているもののやわらかく、彼女の埃まみれの髪の毛を撫でていった。頬はあかぎれと炭で煤けている。
まもなく日は沈もうとしていた。日が沈めば風の向きは反転し、彼女のいる高地から峠へと押し戻すような湿り気を帯びた風に変わることを彼女は知っていた。
旋律を一通り吹き終わると彼女は笛を腰の帯に押し込み、もみの木を転がり落ちるようにして大地に降りた。降りた先のもみの巨木の根元には、子供のコンロンオオヒグマが座っている。去年の秋に生まれた小熊はすでに地球のヒグマの大人よりも一回りも大きい巨体に成長していた。降りてきた少女を見ると元気良く彼女の前に座って巨体を揺らして少女に甘える。
「大丈夫。怖くないからね」
少女は小熊の頭を撫でた。小熊は嬉しそうに彼女の頭に静かに前足を乗せる。
「そうだ、これ食べる?」
アカギレだらけの手で背中のズタ袋を探ると、鹿の肉を干したものを小熊に与えた。小熊はそれに噛み付くと、一心不乱に鹿の肉を噛み砕き始めた。
「大丈夫だよ、そんなに急がなくても」
そう言いながら微笑む少女。山並みに夕日が隠れると一気に森は暗闇の中に沈む。
「熊ちゃんもお友達が出来ると良いのにね」
口の中で肉を噛み続ける小熊を見ながら少女はどこか寂しげな表情を浮かべた。その瞬間、それまで峠から吹き降ろされていた冷たい風が止んだ。小熊は不安に思ったのか、口の中の鹿の肉の破片を飲み込むと、潤んだ眼で少女を見つめた。
「大丈夫だよ。ずっと一緒なんだから」
そう言って小熊の頭を撫でた。小熊はそのままおとなしく彼女の前に座った。
「絶対大丈夫、大丈夫」
その言葉は小熊に対してではなく、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえる言葉だった。そして静まり返った彼女の為だけにあるようにも見える森に彼女の視線は走った。
「これまでだって大丈夫だったんだから」
そう言うと少女の視線に殺気の様な物が走る。何か敵視するものがそこにあるとでも言うように彼女は峠の方を見つめた。
「悪い人はね、あの峠を越えられないんだよ。もし越えてきても私がやっつけるんだから」
そう言うと彼女は小熊の後ろに置かれた巨人像のようにも見えるアサルト・モジュールを見上げた。
その剣を持った白いアサルト・モジュールはアイドリング状態の鼓動のような音を立てながら戦の神を模した神像のように立っている。その姿を見上げる少女の目に涙が浮かんでいるのを見つけた小熊は甘えるような声を上げて少女に寄りかかる。
「大丈夫、大丈夫」
そう言いながら少女は小熊の頭を撫でながら巨大人型兵器を自信に満ちた目で見上げていた。