従軍記者の日記 2
受け取ったコーヒーをテーブルに置き、そのまま口にくわえたアンパンを手にとって純真そうな笑みを浮かべるシャム。それを見て安心したのか、ハワードは自分のコーヒーを一口飲むと話を切り出した。
「ほぼ市内は親衛旅団と呼応した人民軍部隊が制圧したらしい。教条派に呼応する動きは無いようだな。遼北の亡命組や東海の花山院軍閥や南都軍閥の動きが無いのが不気味だが」
そんなハワードの言葉に答える代わりにクリスは記事を書いていた端末を切り替えた。
その画面はここ央都を中心にして展開されている人民軍の状況を図で示していた。多くの部隊に赤い旗のマークがつけられ、残りの部隊には×が記されている。そして下半分には嵯峨のシンパと以前から言われていた軍幹部や政府、人民党の高官の東海・南都両軍閥首脳との会合の予定表が見て取れた。
「吉田少佐からの情報か」
ハワードは納得したようにコーヒーをすする。その間にも赤いしるしの部隊が次々と白旗と×のしるしに変わりつつあった。
「まあ教条派の幹部が央都宮殿で捕らえられて親衛旅団の管理下にある以上、抵抗するだけ無意味だとわかっているんだろうな。それに恐らく根回しもしてあっただろうし。それに実際勝ち目が無いのは誰にでもわかる。多くの教条派の部隊では兵士が脱走して動くに動けない状況だと言う話だ」
そう言うクリスに思わずハワードが頷く。その隣では二つ目のアンパンを口に運んでいるシャムがいた。
「脱走は遼南軍の十八番ってわけか。このまま南都と東海が吉田少佐支持に傾くとなれば、教条派についても得なんか一つもないからな」
そう言うとハワードはコーヒーカップを握り締める。同じようにクリスもまたコーヒーを啜った。クリスはいつもブラックのコーヒーを好んだ。豆は遼南南部の州、南都産だった。ヨーロッパ風の炒り具合はかなりきつめで、その苦味が口の中にゆっくり広がる飲み口がクリスの好みだった。
「ああ、半年前の政変で遼北の首脳部が改革路線を鮮明にして以降は東和や胡州との関係改善を進んでいるからな。教条派の強権政治を支持する馬鹿はどこにもいないよ。事実、さっき東和、大麗、西モスレムの実務者会議で吉田少佐のクーデターの容認で対応を急ぐことが決まったそうだ。地球もほぼ同じ対応を取るだろう。問題の胡州だが……」
政情不安が続いている胡州が動きを見せることはない。そうクリスは見ていた。国内での官派と民派の対立はいつ内戦に発展してもおかしくない状況であり、他国に関心を向ける余裕などなかった。一方で遼州星系最大にして地球とも伍する力を持つ東和共和国。この国が今回の吉田俊平少佐率いる親衛旅団のクーデターを事前につかんでいたことはクリスも予想していた。
7年前、遼州星系と地球の間で戦われた第二次遼州戦争。それがこの遼南にもたらしたのはアメリカ軍の基地と強権的な指導者だった。大戦末期に皇帝ムジャンタ・バスバを追放して全権を手にしたガルシア・ゴンザレス大統領。老獪な政治手腕で地球諸国の支援を取り付けて独裁を敷いた怪物。
今、目の前に座って、アンパンにかぶりついている少女、シャムがゴンザレス将軍率いる共和軍と戦った『騎士』であることなど、知り合いであるクリス達でもなければ信じない事だろう。
「そう言えば俊平からこれを渡してくれって」
「俊平?」
クリスは不思議に思いながら手紙を手にした。そしてそれが吉田少佐からのものであることがわかってつい噴出した。
「電子戦のプロが手書きの手紙とはずいぶんアナクロじゃないか」
そう言ってハワードは笑う。クリスは封筒から一通の手紙を取り出した。それは記者会見場での位置取りの書類だった。A−8。絶好の位置である。
「ほら、少佐殿からのお祝いだ。仕事はきっちり仕上げてくれよ!」
そう言うとクリスはハワードに目をやる。白目の綺麗なのが売りだといつも語っているハワードが大きく目を見開いてシャムを見直した。
「しかし、本当に君は変わらないんだな」
クリスはまじまじと頭の先からつま先までシャムを丁寧に観察する。だがシャムは外の光景が珍しいと言うようにアンパンを急いで口に放り込むとそのまま窓に張り付いた。
「でも都会って凄いねえ。ここには電気もあるし、テレビもあるし、いろんなものが売ってるし凄いんだよ!」
「そうか。確かに君とであった北兼山地の村には自家発電装置しかなかったもんな。それも北兼軍が駐留するまでは放置されていたし」
クリスがコーヒーの最後の一口を飲み込んだ。町の歓声は途切れることがなかった。彼はじっと窓から身を乗り出すシャムの後姿を眺めていた。その目の前で、急にシャムは肩を震わせていた。
「それに、……もう一人じゃないからね」
そう言うと急にシャムは顔を伏せた。あの廃村、そして一面に広がる墓。クリスもその異様な光景を思い出していた。シャムが一人取り残された朽ちかけた村。
「泣かなくたって良いじゃないか」
子供に泣かれるのは気分が悪い。従軍記者として累々と積み重なる死体の山を何度となく見てきたクリスだが、そこに響く数知れない子供の泣き声に慣れる事はできなかった。そんなことを思ったクリスは、同じような顔をしていた男の顔を思い出していた。これからこの国を治めるだろうある男の顔。その男との出会いがなければクリスはここにいることは無かったろう。
北兼軍閥の首魁、嵯峨惟基。次期遼南皇帝、ムジャンタ・ラスコーである。