従軍記者の日記 144
「そう言えば伊藤中尉」
クリスは消えていく別所を見つめながら仕事に向かおうとする伊藤に声をかけた。伊藤は不思議そうにクリスの顔を見る。
「作戦会議に出た人達が見慣れない集団を見たと言うことなんですが……」
そのクリスの言葉に政治将校伊藤隼中尉の顔が険しくなる。
「それはノーコメントで」
ある程度予想できた話だと思いながら本部に降りていく伊藤に続いた。シャムもまたクリスの後に続く。彼女に付き従う熊太郎をハワードがしきりに撮影していた。
「胡州公安憲兵隊ってご存知ですよねえ」
坂を下りきったところでとぼけたように伊藤が言った。クリスは軽く首を横に振った。伊藤はそれが嘘だと分かっていると言うように笑顔でクリスを見つめた。知らないわけが無かった。遼南は先の大戦が始まる以前も東モスレムの分離独立運動。遼北の反政府ゲリラ活動。そして南部のシンジケートによる裏社会などの不安定要因を抱えていた。
その活動はゲルパルト・胡州・遼南の三国枢軸の戦況の分析が悲観的なものとなり始めたとき、一気に噴出することとなった。遼南の武装警察のふがいなさに遼南は胡州に対テロ特殊部隊の派遣を要請した。それが当時の遼南方面軍司令部付き憲兵嵯峨惟基憲兵少佐であり彼に与えられた特殊部隊、胡州公安憲兵隊だった。
突入作戦を得意とする彼らの非道な作戦行動は一定の成果を上げた。北天を牙城とする人民軍の要請を受けつつも遼北が参戦を渋ったのは彼らにより直接指導可能なゲリラ組織が数多く殲滅されたことがきっかけとさえ言われる部隊。
伊藤が彼らの名を口にした事はクリスにとって重要なことだった。
ゲリラ殺しの名を受けた彼らが今再び嵯峨を迎えて動き出していることを知りながら政治将校である伊藤がそれを暗示させる発言をしていると言う事実を北天の上層部が知ればどう言うことになるかわかっていた。
「知らないことがいいこともあるということですよ」
クリスの方を見ながら伊藤は笑った。
「そう言えば嵯峨中佐は……」
「留守です」
伊藤はそれだけ言うとクリス達を置き去りにして本部のビルへと消えていった。