従軍記者の日記 124
「今の人民政府は腐り始めている」
ダワイラのその言葉にどこと無く影があるようにクリスには見えた。自分が夢を追って作り上げた国が理想とはかけ離れた化け物に育ってしまった。そうそのかみ締めるようにワインを含む口はそう言いたげだった。
「まあ権力なんてそんなものじゃないですか?手にしたら離したくなくなる。別に歴史的に珍しい話じゃない」
嵯峨のその言葉にもどこと無くいつもの投げやりな調子が見て取れた。
「だがこの国はそう言うことを言えるほど豊かではない。しかし彼らも本来は権力闘争などが出来る状態でないことくらいわかる知恵のある人物だったのだがね。本当に権力は人を狂わせる麻薬だ」
ダワイラはそう言うと力なく笑った。
「その麻薬に耐性のある人物に率いられてこそこの国の未来がある。違うかね?」
「それが私だって言うんですか?買いかぶりですよ」
嵯峨もワインを口に含む。伊藤が空になった嵯峨のグラスにワインを注いだ。
「君は生まれながらに知っているはずだ。権力がどれほど人を狂わせるかを。先の大戦での胡州の君に対する仕打ち、義父の片足を奪い、妻を殺し、負けの決まった戦場に追い立てた胡州の指導者達のことを。そしてさかのぼればこの国を追われることになった実の父親との抗争劇を」
「まあできれば権力とは無縁に生きたかったのですが、どうにも私はそんな生き方は出来ないようになっているらしいですわ」
嵯峨そう言うと自虐的な笑いを浮かべる。
「そんな君だから頼めるんだ」
その革命闘士の視線は力に満ちていた。頬はこけ、腕は筋ばかり目立つほどに病魔に蝕まれながら、ダワイラは嵯峨をかつての同志を励ましたその目で見守っていた。
「玉座に着けというわけですね」
嵯峨のその言葉に沈黙がしばらく続いた。
「そうだ」
ダワイラの言葉は非常に力強く誰も居ないカフェテラスに響いた。事実上の帝政の復興を認める人民政府元首の発言である。クリスは手に汗を握った。
「しかし、今はそう言うことは言える段階じゃないでしょう。それに俺には今の人民政府の連中に対抗できるだけの人脈も無い。俺はね、独裁者になるつもりはないですから」
「ならば時間をかけてその準備をすれば良い。私と違って君には時間がある。一つ一つ問題を解決していけばいいんだ」
そう言うとダワイラはワインを一口含んだ。クリスは緊張していた。事実上の一国の国家権力の禅譲。その現場に居合わせることになるとはこの取材を受けた時には考えられない大事件に遭遇している事実に緊張が体を走る。
「君は君のやり方で進めば良い」
そう言うとダワイラは力が抜けたように車椅子の背もたれに体を投げた。
「それにどうやら私の役目は終わったようだ」
「そんなことは無いですよ、あなたにはこの戦いの結末を見る義務がある」
この言葉に嵯峨は真意を込めているようにクリスには見えた。それまでのふざけた様子が消え、にごっているはずの目もするどくダワイラを見つめている。
「ありがとう。私もそうしたいものだ」
そう言うとダワイラは静かに目を閉じた。