従軍記者の日記 123
嵯峨が目の前のワインを飲んでいる老人に頭をかいて照れ笑いを浮かべているのが見えた。その老人のとなりに点滴のチューブがあるのを見てクリスは苦笑いを浮かべた。クリスはその横顔を見ただけでそれが誰かを知った。
「ダワイラ・マケイ主席……」
「やあ、ホプキンスさん!」
頭の血の気が引いていくクリスを振り返る嵯峨。老人は立ち上がろうとしたところを伊藤に止められた。
「君か、嵯峨君の取材をしている記者と言うのは」
顔色はよくない。ただその瞳の力はダワイラ・マケイと言う革命闘士らしい精神力を秘めているようにクリスには見えた。伸ばされた手に思わず握手している自分に驚きながらクリスは嵯峨の隣の席に座っていた。テーブルの上にはブルーチーズとクラッカーが置かれている。ダワイラはクラッカーを手に取るとブルーチーズを乗せて口に運んだ。
「久しぶりの固形物がこんな贅沢なものだとは……嵯峨君の心遣いにはいつでも感服させられてばかりだね」
そう言って笑みを浮かべるダワイラの青ざめた顔にクリスは不安を隠せなかった。
「そう言ってもらえると用意したかいがあるというものですよ」
そう言って嵯峨も同じようにブルーチーズをクラッカーに乗せた。
「さすがにワインはまずいのでは……」
「伊藤君は心配性だな。どうだね。実は私が彼を紹介したわけだが、こう融通がきかんと疲れることもあるんじゃないかな?」
「いえ、私の方が伊藤には迷惑かけてばかりで……」
「いや、彼にも君にも良い経験だ。君達のような青年が増えれば遼南にも希望が見えると言う物だよ」
ダワイラはからからと笑う。クリスはその表情から彼の病状がかなり進行していることがわかった。しかも教条派が台頭してきている北天の人民政府。ダワイラの隠密での視察はかなりの無理をしてのことだろうということはクリスにも想像できた。そして、そうまでして嵯峨に何かを伝えようとしている覚悟がわかって、クリスはじっとダワイラを見つめた。
「さっきから世間話ばかりしているようだが何を私が言いたいかはわかっているようだね、嵯峨君」
静かにワイングラスを置いたダワイラが眼鏡を直す。沈黙が場を支配した。
「終戦後のことではないですか?」
こちらも静かに嵯峨の口から言葉がこぼれた。