従軍記者の日記 108
バスを降りてきた難民達に笑顔が無ければ、クリスは目を背けていたのかもしれない。敵基地に群がる彼らを遠巻きに見るのと、目の前で見るのが違うことは覚悟をしていたが、それは戦場に向かうどこのキャンプでも見慣れた光景とは言え、かなりクリスの心をえぐる光景だった。骨と筋だけにやせこけた母親に抱かれて口は開けてはいるが、泣き声を立てる体力も無い乳児。老人は笑ってはいるが、その頬肉のこけた姿が痛々しい。義足の少年。きっと地雷でも踏んでしまったのだろう。屋根の上の包みに手を伸ばす男の右腕のひじから先は切断されていた。
「酷いものだね」
たぶんこのような状況を見るのが初めてと思われるキーラが硬直しながらバスから降りる難民を見ているのを見つけてクリスは声をかけた。
「彼等は逆らったわけではないんでしょ?何故……」
「戦争って言うので戦って死んでいく兵士はまだ幸せな方さ。戦場に住んでいたと言うだけで武器も持たない彼らにとっては生きていること自体が地獄なんだよ」
今度は赤十字のマークをつけた北兼軍のトラックが到着する。先ほどの少女の登場で仮眠を取っていた要員まで動員されたようで、野戦病院からは看護婦や医師達がトラック目指して走り出す。
病院から出てきたハワードがクリスのところにカメラを取りに来た。
「クリス、まだ来るぜ」
冷静にそう言うと、ハワードはクリスからカメラを奪い取ってトラックに向かい駆け出していく。トラックから静かに担架に乗った難民達が運び出される。うめき声、泣き声、助けを呼ぶ声。戦場の取材で何度も聞いた人間の声のバリエーションだが、クリスはそれに慣れる事は出来なかった。隣に立っているキーラは初めてこういった光景を目の当たりにするのだろう。クリスは彼女の肩に手を添えた。
「こんなことが起きてたんですね。私達が訓練をしていた間にも」
「そうだ、そしてこれからも続くんだ。この内戦が終結しても、敗者の残党は民兵組織を作ってゲリラ戦を続けることになるだろう。それが終わるのもいつになることだか……」
クリスのその言葉に、キーラの目が殺気を帯びて見えた。彼女の怒りにかつて自分が従軍記者をはじめたばかりのことを思い出した。それはアフリカの内戦だった。記者達は政府軍とアメリカ軍の広報担当者の目の届く範囲だけの取材を許されていた。そこの難民は栄養状態もそれほど悪くなく、政府軍とアメリカ軍のおかげで戦争が終わろうとしていると答えた。まるで版で押したかのように。
そんな光景に嫌気のさしたクリスが広報担当者の目を盗んで山を越えたところの管理されていない難民キャンプでの光景は今も脳裏に張り付いている。
積み上げられる餓死者の死体、見せしめに銃殺される反政府ゲリラへの協力者、もはや母の乳房にすがりつく力も無く蝿にたかられる乳児、絶望した瞳の遊ぶことを忘れた子供達。クリスはすぐにアメリカ軍の憲兵に捕らえられて、その光景を一切報道しないと言う誓約書を書かされて、そのままその取材は打ち切りになった。
クリスはそんな昔話を思い出しながら、ただバスを降りていく難民達を見つめていた。