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従軍記者の日記 1

 クリストファー・ホプキンスは記事を書いている携帯端末から目を離して窓の外に目をやった。

 昨晩央都宮殿府に突入した親衛旅団と防衛する教条派の武装警察の銃撃戦の中、親衛旅団を支持する市民をかき分けて銃撃戦を見つめていた光景がまるで夢か幻のように思えてきていた。街の戒厳令が明けたばかりだと言うのに安宿の窓から見える町には熱気のようなものが漂っていた。

 遼南人民党教条派の支配の下、秘密警察の恐怖に怯えながら生きてきたこの貧しく若い国の人々は、大通りを闊歩しながら自由を満喫していた。銃声はほとんど聞こえないが街を行く車の祝福のつもりらしいクラクションで何度眠りを妨げられたかを思い出すと苦笑いさえ浮かんできた。

 クリスはそのまま窓に歩み寄る。眼下の大通りを車道などを無視して闊歩する人々の顔は明るい。そんな明るい表情の人々を見つめていたクリスの耳にノックの音が響いた。その音にひきつけられるように窓から離れるとクリスはドアに向かった。

 クリスのたぶん最後になるだろう取材旅行に同行してくれた旧友の戦場カメラマン、ハワード・バスがそこに立っていた。アフリカ、中央アジア、南米、そして遼州。数知れない戦場を二人で駆け巡ってきた。どれも懐かしくもあり激しくもあり、多くは語るのは止めたい様なさまざまな生と死を二人で見つめてきた。

 アフリカ系らしいの澄んだ瞳。がっちりとしたその手の中のカメラがおもちゃのようにも見えてしまう大きな手。そして寡黙でいながら深い教養を持つ。安心して背中を任せられる相棒として彼を得たことは自分ににとって最大の幸福だとクリスは信じていた。

「やはり首謀者は吉田少佐だ。あと三時間後に行政院でクーデター首謀者の記者会見があるそうだ」 

 淡々と手に入れた情報を伝えるとその大男は冷蔵庫の隣の棚のコーヒーメーカーに手を伸ばした。昨日の取材でも親衛旅団の副官である吉田俊平少佐の指示でクーデターが始められたと言うことは親しい人民軍の中尉から聞いていた。彼もまた決起軍の目印である赤い腕章をつけて匂いの悪い両切りタバコをくゆらせていたことを思い出す。

 昨日、宮殿の攻防が親衛旅団側の勝利に終わるのを確認した二人は通信社に送る材料を選ぶ為に語り合った。テーブルの上にはその時のままのコーヒーカップがおかれていた。結局眠ったのは夜明けの直前。時計を見ればもう昼を過ぎようとしていた。まだ眠そうなクリスの顔を見て呆れたと言う表情のハワードは白いコップを手に取ると洗いもせずにそのままコーヒーを注いだ。部屋に香るコーヒーの匂い。地球なら銘柄とかで文句をつけ絶対に口にしないインスタントコーヒーだが特に気にすることもなく、ハワードは口にカップを当てる。

「特等席は取れるんだろうな?お前のコネが頼りなんだからな」 

 一口コーヒーを飲んだハワードがようやく一息ついたというように表情を緩めながらクリスに向き直った。ハワードはデジタル技術を信用しないアナログな人間だった。手にしたカメラもスチールフィルムを使用する。そんな骨董じみた趣味のカメラマンだったからこそクリスは彼と組むことを選んだのかも知れないと思った。

「安心してくれ。ちゃんと次期皇帝の許可は得ているよ。最前列に陣取れるはずだ」 

 クリスはそう言うと自分もコーヒーを飲もうと窓から離れる。

「そいつはすごいな。いつもの事ながらあのお人の記憶力には頭が下がるね。それとかわいいお客さんだ」 

 ハワードはカップをテーブルに置いて笑みを浮かべた。

 クリスには彼女がやってくることは予想が付いていた。紅いスカーフは、典型的なこの国の高校生らしく首に巻かれて、その上に乗った幼く見える顔の笑顔とをもに印象に残る。

「クリスちゃん!来たよ!」 

 その脳天気な言葉で再会を喜ぶ姿は、とても高校生とは思えないものだった。確かにこの国の東アジア系と区別のつかない原住民族の出身とはいえ、クリスから見ても幼すぎるように見える。

「もう3年ぶりか。どうだね学校の方は?」 

 彼女、人民軍の英雄でもあるナンバルゲニア・シャムラードはたじろがずにどんどん部屋に入ってきた。

「野球やってるんだよ!しかもアタシ、レギュラーなんだ!」 

 うれしそうに話す彼女の姿と外の解放を喜び、赤地に紺色の星の描かれた遼南帝国の国旗を降りかざす民衆の姿をクリスは重ねてみていた。

「それは良かった。だが勉強もした方が良い。私も6年かかってハーバードを卒業した口だからね。ちゃんと勉強もしておくことだ」 

「良いことを言うじゃないか。俺は大学中退だよ。コーヒーでも入れるとするか、シャムは甘いのが良いんだよな?」 

 ハワードはそう言うと再び母国から持ち込んだコーヒーメーカーの方に向かった。ハワードも仕事に没頭しているここ数日は自分ではインスタントを飲むが彼のプライドが客にインスタントを出すことを許さなかった。

「北兼王ムジャンタ・ラスコー、嵯峨惟基大佐か。あの人物が次期皇帝とは。君はどう思う?」 

 ソファーに腰掛けようとしたシャムにクリスはそうたずねた。コーヒーメーカーに向かう大男からクリスに目を向けたシャムが目を輝かせながら微笑を浮かべる。

「隊長は優しいから大丈夫だよ」 

 思わず噴出したハワード。クリスも自分が戸惑った笑みを浮かべていることは予想が出来た。

「優しいだって?あのマフィア崩れに優しさがあるのなら俺はとっくにくたばってたよ!」 

 コーヒーメーカーの前でハワードはそう叫んだ。一般的な用語で『優しい』という言葉の意味を探したなら、クリスも彼に同感せざるを得なかった。

 嵯峨の優しさは戦場という特殊な空間でこそ有効な『優しさ』だった。嵯峨の信念、敵味方問わず最小限の被害で最大限の戦果を得るという状況を作り出す。それを『優しさ』とシャムは呼んでいることはクリスにも分かっていたことだった。

「ああ、君が来ることが分かっていれば珍しいものも用意しただろうが、こんなものしかなくてね」 

 クリスは昨日、久しぶりに教条派が立てこもった国防省を攻撃する親衛旅団との市街戦を取材に行ったときに親衛旅団の下士官に分けてもらった親衛旅団特製だというアンパンを彼女に手渡した。ただでさえ再会に満面の笑みのシャムがさらにうれしそうに大きく目を見開く。

「これ!大好きなんだ!」 

 彼女はそう言うと、さっそくアンパンにかぶりついた。

「おいおい!レディーはこんな時はコーヒーが入るのを待つものだぜ!」 

 ハワードは満面に笑みを浮かべながらシャムにそう言った。シャムは口にアンパンをくわえながらハワードが差し出したコーヒーのカップを受け取った。



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