国王と愛の大団円(8)
優雅な管弦楽の音色が、湖畔に響く。
クロス・コスモスとパシオネが調和した美しいブーケを手にしたスラーが、反対の手で俺の腕を取り、二人並んで花のバージンロードを進んでいく。
高く広がる青い空と、ヴェールに似た白い雲が、鏡のように静かな湖面に映し出されている。
森に混じる赤や黄に染まった木々は、参列するムジークとフェルマータの民たちが描く色と同じコントラストで彩りを添える。
足元の花弁も、俺たちに負けず劣らず高貴な白を主張していた。
そして、俺たちを見守る皆の笑顔と、隣にいてくれる美しい花嫁。
視界に広がる全ての景色を目に焼き付けながら、ゆっくりと歩く。
大きな樹木のアーチをくぐり抜け、やがて石の祭壇に辿り着いた。
後ろに付き従っていた騎士の二人はアーチの根元に立つ。
崇めるものが異なる俺たちの婚礼に、祭司はいない。
台の上に飾られた一対の指輪の前で立ち止まって、参列者へと向き直り、深く一礼する。
音楽が小さくなり、皆の視線が集中する。
国王として人前に立つ時とは違う緊張感が俺を包む。だが、今はひとりではない。
俺とスラーは頷き合って、同時に息を吸い込んだ。
「ここに、誓いを」
揃った声が、遠くまで空気を震わせた。
「私、トーン=スコア=ムジークは、いついかなる時も、妻を支え、励まし、慰め、慈しみ、愛することを誓います」
参列者たちへ向けた宣誓。続けて、
「わたし、スレイア=トラウム=フェルマータは、いついかなる時も、夫を支え、励まし、慰め、慈しみ、愛することを誓います」
スラーも宣誓を終える。
確かに聞き届けた、と承認の拍手が巻き起こった。
次に、互いに向き合う。
俺は腰の剣を鞘ごと外し、自分の胸に押し当てた。
「私は貴女を護る剣となり、降りかかる災禍や不運を断ち切って、生涯お守りいたします」
精霊王の剣をもって立てる誓いは、ムジーク国王としての力を捧げることと同義だ。
ムジーク王妃となる彼女を守り抜くために、必要な力。
スラーが承諾の証として、俺の薬指にそっと指輪を差し込んだ。
そして、スラーは胸の前にブーケを掲げ、祈るように目を閉じる。
「わたしは貴方を支える礎石となり、いかなる苦難にも揺るがず、最後の時までお側に添い遂げます」
神の竜の御子としての祈りは、母なる大地と空を守護するフェルマータ女王による約束だ。
フェルマータ王配となる俺と共に歩んでいくための願い。
俺も承諾の証に、スラーの薬指へと指輪を滑らせる。
指輪が乗っていた紙――結婚誓約書に連名のサインを施し、次はいよいよ誓いのキスだ。
改めて、スラーを見つめる。
――可愛い。綺麗だ。輝いて見える。本当にこんな美しい女性が俺の妻になるのか。覆っているヴェールを上げたら、あまりの神々しさに目が眩んでしまうのではないだろうか。
服の色だけでなく、頭の中まで真っ白になる。
直前まで何度もイメージしてきたのに、本番で全て吹っ飛んでしまった。
ヴェールの端を掴んだままで随分長いこと俺が動かなかったためか、観衆がざわつき始め、スラーも首を傾げた。
「……あの、トーン兄さ――」
「これ、早く覚悟を決めんか!」
聞き覚えのある老人のヤジがムジーク側の席から飛んで、続けて周囲が慌てて諌めているざわめきが聞こえた。
一連の出来事に、思わず噴き出してしまう。
俺が迷っていたせいで雰囲気が台無しだし、情けないことこの上ないが、おかげで緊張も消え失せた。
そっと、ヴェールを持ち上げる。
スラーの愛らしい顔が露わになった。
「もう少し、格好良く決めるつもりだったんだがな」
「ふふ……でも愛されてますね、トーン兄さま」
小声で囁き、笑い合って、その桃色の唇にそっと口づけた。
割れんばかりの拍手が、湖畔に響き渡る。
こうして俺たちは、皆に祝福されて、夫婦になった。
「トーン兄さま! わたし、とっても幸せです!」
鳴り止まぬ拍手の中、スラーが、屈託ない笑顔でそう言ってくれた。
「あぁ、俺も本当に幸せだ」
俺も率直な思いを伝え、抱きしめる。より一層大きな拍手が広がる。
――お、そうだ。
後は退場するだけなのだが、ふと思いついたことがあって、スラーに耳打ちする。
彼女は一瞬驚いて、すぐに笑顔で頷いてくれた。
スラーはドレスが汚れないようハンカチをあててから、指先に小さく傷をつける。
ほんの少しの血でも言うことを聞いてくれるようになったのだ、と嬉しそうに話してくれた。
「――おいで!」
腕を天高く掲げ、御子が呼ぶ。
その声に応じ、雷鳴に似た鳴き声と共に、一匹の竜が飛来した。
驚く人々のはるか頭上を数度回って、祭壇の縁に降り立つ。
雄大な翼、陽光に複雑な色を跳ね返す鱗、威厳に満ちた金の双眸。
まさに神の竜と崇めるに相応しい凛とした姿を我々に見せつけていた。
「この子は、双子飛竜のお母さんです。こんなに元気になったんですよ」
「おぉ、あの時の! ……雷で荒療治したことは、すまなかった」
「大丈夫です、わかってくれてますから」
グランディオにおけるスラー救出劇の時のことを恨まれて、ぷちっとされたらどうしようと思っていたが、無用な心配だったようだ。
俺とスラーは、その背に乗り込んだ。
再びゆっくりと飛翔する。
「なぁ、何するんだー?」
ソファラが、地上から羨ましそうな目で問いかけてくる。
俺はそれに手を振って応え、
「俺たちの幸せを、皆に分けてやりたくてな!」
それだけ伝えると、一気に空へと舞い上がった。
式場が小さくなり、リタルダンドだけでなく、ムジークやフェルマータの大地も見える。
さらにその向こうに霞む景色にさえ届くよう、俺とスラーは声を合わせた。
《この世界にあまねく存在する命へ、聖なる光の祝福を!》
光の精霊は、願いを聞き届けてくれた。
飛竜に乗って空を駆ける俺たちの手から、小さな光が次々と溢れ出す。
それは綿雪のようにふわふわと、地上へ向けて舞い降りる。
俺たちの幸せの欠片が、祝福の煌めきが、光の精霊の間を伝播して、大陸へ、そして海へと広がっていく。
数多の光の粒は、平和と安定の象徴――クロス・コスモスの彩りで、世界中を黄金色の花畑に変えたのだった。




