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国王と七音の旋律 ~ムジーク王国記~  作者: 卯月慧
第十二話 国王と愛の大団円
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国王と愛の大団円(5)

 霊峰フェルメトの青白い岩肌を、夕陽が照らす。

「本当の、幸せ……」

 俺は一人残された部屋で、フラットの言葉を反芻していた。

 戴冠式での、スラーの泣きそうな顔が頭から離れない。

 俺があまりに不幸せそうな顔をしていたから、彼女にあんな表情をさせてしまったのだとフラットは言う。

 俺自身はそんなつもりがなかっただけに、寝耳に水だった。

 スラーが女王として立つことに対し、自分の中では納得して、スラーの背中を押したつもりだった。

 が、自覚のないまま心は全力で拒否していたらしい。

 俺の精神が不安定になったせいでムジークは雨まで降り出してしまって、このままではいけないと理解しているのに、いつも通りに調子を戻す方法が思いつかない。

 考えようとしても頭に霧がかかったように不明瞭で、焦れば焦るほど追い詰められていく気がする。

 もう、どうしたらいいのかも分からなかった。

 大きな窓を開けて、バルコニーへと出た。

 物音を聞きつけた近衛騎士が扉を開けて様子を窺ってきたが、外の空気を吸いたいだけだ、と声をかけて下がらせる。

 バルコニーの柵に手をつき、眼下に広がる雄大な景色を眺めた。

 急峻な岩山の麓に領土を構えるフェルマータ王国。

 飛竜の雄叫びが山々を伝播して耳に届く。

 下から吹き上げてくる冷たい風は、まだほど遠い春を感じさせた。

 フェルマータは一年の半分以上が雪に閉ざされていると聞く。雪国の暮らしに順応できていない身には辛い。

 まるで氷漬けにされたように、身体だけでなく、心まで冷え切っていく。

 ふと、影が視界の端を横切った。

 遠雷の如き咆哮は、エコーでなく直接耳を貫く。

 徐々に近づいている。その音の中に、心臓を揺さぶる声が混じる。

「っ……――!?」

 突如吹き荒れた暴風に思わず瞼を閉じ、後退りする。

 次に目を開けた瞬間、俺は信じられないものを目にした。


 飛竜の背から、今まさにこちらへ向かって飛び降りようとするスラーの姿を。


「トーン兄さま!」

「なっ、……危ない!!」

 優雅に(なび)くドレスが、太陽の光を受けて煌めくさまは、空から舞い降りる天使の羽衣に見えた。

 ただ、その天使は翼を持っていなかった。

 俺に向かって両手を広げ、ただ落ちてくるだけ。

 反射的に身体が動く。

「うわっ」

「きゃあ!」

 伸ばした腕の中に、軽い身体を受け止めた。

 勢いのままに尻もちをつき、抱いたまま転がって最低限の受け身を取った。腰が痛いが大したことはなさそうだ。

 すぐに上体を起こして彼女を横に座らせ、全身を(あらた)める。

「大丈夫か、どこにも怪我はないか?」

「は、はい、ありがとうございます。トーン兄さまこそ大丈夫でしたか?」

「あぁ、とりあえずはな」

 転がった際にぶつけたらしい頭をさすりながら、スラーははにかんだ。

「お会いしたかったです、トーン兄さま」

 頬を上気させて微笑む彼女の無事を確認できたと同時に、長い溜め息が出た。

 驚きと、安堵と、呆れとが複雑に入り混じる。

「スラー……いや、スレイア女王陛下、なんという危険なことを。御身に何かあっては民が悲しむ」

 俺の言葉に、一瞬だけ強張った顔をしたスラーは、しゅんと俯いた。

「……そうですよね、ごめんなさい」

 俺の心臓が強く脈打つ。

 まただ。

 また俺のせいで、スラーから笑顔を奪ってしまったのか。

「久し振りにお会いできると思ったのに、晩餐会にもお見えにならなくて。抜け出してきちゃいました」

「あぁ……すまない」

 スラーが、俺の顔をじっと見る。やがて、

「やっぱり、あの噂は完全に間違いってわけじゃなかった……」

 ドレスをぎゅっと握りしめ、悲しげに呟いた。

 何のことだか見当もつかず、言葉を発せられないでいるうちに、スラーは少し、俺から距離を置いた。

「フェルマータの領土狙いだったとか、恩を仇で返すわたしに愛想を尽かしたとか、そういう何も知らない人が流す噂は信じてません。でも」

 栗色の瞳が、切なく揺れて俺を見る。

「トーン兄さまは、本当はわたしが女王になることを望んでいなかったんですね」

「!」

 そんなことはない、と否定しようとしたが、できなかった。

 彼女に嘘は通用しないのだ。

 考えた末に、言葉を捻り出す。

「女王として即位すること、それが君の選択なら……それで君が幸せになれるというなら、俺は受け入れようと――」

「やめてください!」

 スラーが、語気を強める。

「トーン兄さまが幸せじゃないのに、わたしが幸せになんて、なれるはずない!」

 悲痛な思いを込めて、声を振り絞る。

「トーン兄さまにそんな悲しい顔をさせてしまうんだったら……わたし、女王になんてならなければよかった……!」

 その言葉は鈍器となり、頭を激しく殴られた気がした。

――俺は、一体何をやっているんだ。

 こんなに強く、自分に対する怒りが湧いたのは初めてだった。

 何故、抗わない?

 みっともなくすがりつこうとしない?

 全てを諦めて、これでいいのだと自分に言い聞かせて、悲しみの運命に浸るだけが、俺の覚悟だったのか?

「わたしのこと、諦めないんじゃなかったんですか!?」

 涙混じりの叫びが、俺の胸を穿つ。


「わたしだって、トーン兄さまと同じ時を生きたいんです!!」


 その瞬間だった。

 急速に、世界が色づいて見えた。


 夕焼け空は、群青色への鮮やかなグラデーションを描いている。

 白い雪に閉ざされているとばかり思っていた大地には、春の訪れを主張する蕾がそこかしこに花開いていた。

 霊峰フェルメトも、鉱石が光を複雑に反射して神秘的な模様を生み出している。

 世界がこんなにも美しかったことを、忘れていたなんて。

 そして、俺の目の前で宝石のような涙を溜めるスラーが、その中でも群を抜いて美しい。


――心が、今再び動き出す。


 俺は近寄って彼女の瞳を覗き込み、微笑んでみせた。

「ありがとう、スラー。……おかげで、目が覚めたよ」

「……トーンにいさま……?」

「君の言葉が、思い出させてくれた」

 グランディオで、飛竜と対峙した時に抱いた、強い思い。

 過去もしがらみも一切無視して、己の信じる未来のために全力で立ち向かった。

 あれこそが、嘘偽りない俺自身の本音なのだ。

 あの危機を共に乗り越えてきたのなら、他に怖いものなどありはしない。

「スラー」

 二人、座り込んだまま向かい合い、スラーの手を取る。

 まっすぐに見つめて、告げた。


「俺と、結婚してくれないか」


 スラーは大きく目を見開いた。

「……えっ、で、でも」

 動揺しているのか、手が小さく震え始める。

「わ、わたしはフェルマータの女王になってしまったから、ムジークのお嫁さんにはなれないんじゃ――」

「大丈夫だ」

 両手を重ね、安心させるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。

「君がムジーク国王の妃になると同時に、俺もフェルマータ女王の婿になる。二人で一緒に、二つの国を治めていこう」

「……うそ……」

 信じられない、とスラーの顔一面に書いてある。

 潤んだ大きな瞳の中に、俺が映る。一世一代の告白に緊張しているものの、しばらく鏡でも見かけなかった笑顔が、ちゃんとできていた。

「スラーがそばにいない世界など、俺には考えられなかった。そんな大切なことに、離れ離れになってから気づくなんて……我ながら何と愚かなことだと自分を呪うよ」

 苦笑する。この結論に至るまで、どれだけ遠回りをしてきたのだろう。

 俺は、スラーの手を握る力を強めた。

 深く呼吸しても、高鳴る胸は収まらない。

 意を決して、口を開いた。

「どうか、これからもずっと、俺の隣で笑っていてほしい」

 みるみるうちに、スラーの瞳から水が溢れてくる。

「……はい……! う、うっ……うえぇぇん」

 承諾の返事の直後、堰が切れたように泣き出した。

 俺は、そんなスラーを抱きしめる。

 サラサラな髪を指の間に流して頭を撫で、慈しむ。

 心の底からの安堵と、想いが成就した喜びと、彼女に対する愛おしさが、俺の中から次々と湧き出てくる。

「俺の気持ちを受け止めてくれてありがとう、スラー」

「こっ、こんな、夢みたいなこと、ほんとうに?」

「もちろん、夢なんかじゃないさ」

「……今まで、『ここにいてもいいよ』って許可は、もらえてたけど……『ここにいてほしい』って、言ってもらえたのは、はじめてで」

 吐き出される感情に、胸が小さく痛む。

「う、嬉しくて、笑いたいのに……っ、涙が、止まらな……!」

 あぁ、参った。

 可愛い。可愛くて仕方がない。

 夢なんかじゃないと言った俺自身が、まだ信じられない。

 本当にスラーがこれから先、ずっと俺と一緒にいてくれるというのか。

 自分の心ともちゃんと向き合えないような、こんな情けない俺と。

 証が欲しい。

 俺たちの間に生まれた絆の、確固たる証が。

 スラーの身体を離し、瞳を覗き込む。そして、

「その……キスを、してもいいだろうか」

 躊躇いながら、伝えた。

 顔が熱を持つのが分かる。

 心臓が早鐘を打つ。

 パシオネの眠りから目覚めさせた時とは、緊張の度合いがまるで違う。

 スラーは涙を拭って幸せそうに微笑み、そっと目を閉じた。


「……愛している」

「わたしもです……トーン兄さま」


 吐息が交わり、唇を重ねる。

 柔らかな感触が、俺の身も心も溶かしていく。

 苦いだけだった初めてのキスとは違い、二度目のキスは、花の蜜のように甘くとろけて――ほんのりしょっぱい、愛おしい味がした。

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