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国王と七音の旋律 ~ムジーク王国記~  作者: 卯月慧
第十一話 国王と決戦の舞台
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国王と決戦の舞台(4)

 夜も更けたムジーク王宮の庭に、月明かりを遮って巨大な影を落とす。

 すわ悪夢の再来かと身構えた者たちも、背に乗る俺たちの姿を認めるや否や武器を手に構えて臨戦態勢を取った。

 俺は人々を安心させるべく声を張り上げる。

「武器を収めよ! この飛竜たちはもうムジークの脅威ではない!」

 困惑に顔を見合わせる前線の騎士たち。

 彼らだけでなく、城の者は皆状況を掴みかねているようだ。

 無理もない、何せ俺は本来、グランディオの飛竜の処遇についてリタルダンド国王との会談に赴いているはずなのだから。

 無事に着地した飛竜の背から降りていると、大臣が奥からすっ飛んできて、これは一体どういうことかと俺を詰問する。

「話は後だ、説教なら平時にいくらでも聞く。それより、怪我人の搬送を。事態は一刻を争う、急げ!」

 俺の指示に泡を食った官吏や騎士たちが恐る恐るもう一方の飛竜に近づき、降ろされた者の顔を見てさらに驚いていた。

 殿下、団長、嘘だろ、と悲痛な声がざわめきに混じる。

 彼らはレミーと共に迅速に医務室へと消えていった。シャープに関して俺にできることはもうない、後はただひたすら無事を祈るだけだ。

 俺は、到着した途端気絶するように眠ってしまったスラーを横抱きにし、慌ただしく集まってくる臣下の合間を縫って歩く。

 その女性は何者かと呼び止める者には「俺の個人的な賓客だ」とだけ答え、王医を呼んでそれ以外の全ての面会を断り、王宮の奥へと逃げ込んだ。

 これ以上、スラーを好奇の目に晒させるのは我慢できなかった。

 私室へ戻り、ベッドにスラーを横たわらせる。

 怖い夢でも見ているのか、時折眉を(しか)めている。

 やっと国に戻ってきても、彼女が辛そうである限り、俺の心に安息が戻ってくることはない。

「……もう大丈夫だぞ。俺はここにいるからな」

 夢の中のスラーに語りかけ、大きくなった白い手を握ってやる。

 訪れた王医が彼女の容態を見ている間も、握った手を離すことはできなかった。




 腕の裂傷を手当てし、栄養補給と数日の静養を勧めて王医は去った。

 鎧を脱いで平服に着替え、眠るスラーの隣でしばらく考え事をしていると、コンコン、と控えめなノック音の後、密やかな声が聞こえてきた。

「おかえり」

 この声はヘオンだ。

 中で話してスラーを起こしてしまうのも忍びないので、俺が部屋を出ることにする。

「ただいま。すまなかったな、帰ってくるなり慌ただしくて」

 左腕を吊ったヘオンは、相変わらずの涼しい顔で肩を竦めた。

「別に。想定の範囲内だし」 

 何とはなしに、廊下を歩き始める。少し気分を入れ替えたかった。

 半月より少し膨らんだ月の光が、窓から淡く差し込んでいる。

 目に映る光景は、殺風景なグランディオのそれとは似ても似つかない。

「アミュレットありがとう。非常に役立った」

「あぁ、ちゃんと使えたんだ。良かったね」

「こちらは、何事もなかったか」

「つつがなく。まぁ、たった一日だしね。大臣たちがあの手紙にまんまと騙されてたのはちょっと面白かったけど」

 前を歩く弟の声が、少し弾んでいる。

 俺たちが帰ってきたのが嬉しいのかもしれない、と勝手に想像する。

 直接問えば怒られることは分かりきっているので口には出さないが。

「後で、きちんと説明せねばならんだろうな……正座二時間で済むだろうか」

 俺のぼやきに、冷笑が返る。

「済まないんじゃない? それどころかリタルダンドにも必要なんでしょ、勝手に名前借りちゃって」

「……そうだった」

「仕方ないなぁ、説得草稿くらいは用意しといてあげるよ」

 やれやれと呆れ、ヘオンは苦笑した。

 並んで歩きながら、グランディオでの出来事をかいつまんで話す。

 ヘオンは口を挟むことなく聞いていたが、飛竜の暴走のくだりで少しだけ苦い顔をした。

「あぁもう、悔しい。僕が行けてれば、次兄にあんな怪我させなかったのに」

「お前に待機を命じたのは俺だ。俺がもっとしっかりしていれば」

「あのね、そんなの結果論でしょ、誰のせいでもないよ。長兄がそんなことで自分を責めるんだったら、僕も自分が怪我したことを責めなきゃいけないし。非生産的な自虐は良くない」

 珍しく饒舌な弟に面食らって顔を見ると、ヘオンもそんな自分に気づいたようで慌てて目を逸らした。

「ごめん、矛盾してるな。最初に長兄を責めたのは僕の方だね。……はぁ、ちょっと僕も冷静じゃないみたいだ」

「いや。俺の方こそ、卑屈になってすまなかった」

 謝る。王宮で待っていることしかできなかったヘオンが、心身ともに傷ついた俺たちを出迎えてショックを受けないはずがない。帰ってきて嬉しいとかそんな能天気な場面ではないことなど、少し考えれば分かるものだ。

 本当に俺は至らないな。

 しばらく二人とも無言で廊下を歩いていたが――王族の居住区を隔てる扉の手前でヘオンが立ち止まり、俺を止める仕草をした。

「散歩はいいけど、ここから先はやめときなよ。捕まったら面倒でしょ」

「しかし、俺には――」

 反論しようとして、次の言葉が出てこないことに気づいた。

 家臣団への説明も、シャープの容態も、レミーへのフォローも、飛竜の処遇も。

 この扉の先でやらなければならないことが山積しているのは分かるのに、頭がまったく働かない。

 焦りだけが噴出して冷や汗を催す。

「ひどい顔なの、自覚してる?」

 片腰に手をやり、俺に言い含めるように、ヘオン。

「そんなんで誰に何を指示しようってのさ。他人を気遣ってる余裕なんてないでしょ、今の長兄には」

 何も言い返せずに、口元に手を当てた。

 俺は自分が思っている以上に、今の状況に疲弊しているのかもしれない。

 それを分かってくれているのか、ヘオンは思いのほか優しい口調で言った。

「次兄と妹には僕がついてるから。長兄は部屋に戻って休んで」

 あの冷酷無比なヘオンからこんな労いの言葉をかけられるなんて生まれて初めてなのではないだろうか、などと失礼な感想を抱いてしまうほどに珍しい事態だ。

 それだけ俺は心配されるような顔をしているのだろう。

「……すまない。ありがとう」

 やっとのことで礼を言うと、ヘオンは分かりやすく照れてそそくさと扉を開けた。

「優しいな」

「何? 今ここで強制的に眠らせてあげようか? 地べたで寝る趣味があるんならね」

 ギロリと睨まれ、慌てて首を振る。

 へオンは隙間からシッシッと俺を追い払う手振りをした。

「早く行きなよ。……姫が目を覚ました時、そばに誰もいなかったら寂しいと思うよ」

 目の前で静かに閉ざされた扉に、額を当てて寄りかかる。

 自然に溜め息が漏れた。

 何から何まで、きょうだいたちに支えられてばかりだ。俺は彼らをちゃんと支えてやれているのだろうか、と自問する。

 そしてこんな(なま)った頭で考えても、答えが出るはずもなかった。

 ふらふらと、私室へ戻る。

 暗い部屋の中で、スラーは姿勢も変えず眠ったままだった。

 今スラーの顔を見たら、何故か泣いてしまいそうな気がして――俺はベッドに近づけず、長椅子に身体を沈ませる。

 油断すると、頭の中に暗雲が立ち込めていく。事実を元にした最悪の未来図を、脳が勝手に想像する。

 それは出発前の夜よりも鮮烈で、より現実感を伴って、俺を絶望の淵へ突き落とそうとしてくる。

 負の思考に囚われるのが怖くて、目を閉じていられない。

 グラッセを倒すと決めた時から、分かっていたことなのに。

 叫び出したくなるのを必死にこらえながら、俺は痛む頭を抱えて眠れぬ夜を過ごした。


   * * *


『わたしは、いるべきところへ帰ります』

 母のような未来見の能力がなくても、こうなることは予見できた。

 俺がムジークの国王で、君がフェルマータの正統な後継者である限り。

『今まで、ありがとうございました』

 一人で国を背負う責任の重さは、俺も身にしみている。君がどれだけの覚悟を持ってその決意をしたのかは、理解できるつもりだ。

『トーン兄さまの妹でいられて、嬉しかった』

 兄として、妹として過ごす日々は、もう終わった。

 これからは、対等な立場の人間として、お互いにとって最適な距離感を探っていくべきだ。

 君という存在を求める人々がいる。

 彼らにとって君は、心から切望する光であることを俺は知っている。

 その輝きを俺が独り占めするなんて、許されない。


 だから敢えて、この手を離そう。

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