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国王と七音の旋律 ~ムジーク王国記~  作者: 卯月慧
第十一話 国王と決戦の舞台
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国王と決戦の舞台(3)

 スラーの呼びかけに応じ、二匹の飛竜がコロシアムの天井吹き抜けから舞い降りてくる。

 きゅおぉ、と母に甘える時のような声で、スラーの腕の傷を労わるように舐めた。

 飛べるとはいえ幼体でまだ身体が小さいため、一匹の背に乗れるのは二人。

 片方に俺と飛竜に指示を出すスラー、もう片方にシャープと治癒魔法を施すレミーを乗せて、ムジーク王国まで帰還する。

 グラッセのつけた鞍が外されていなかったのは不幸中の幸いだった。

 グランディオ兵の手も借りて、シャープの身体を極力動かさないよう慎重に背に乗せて担架ごと固定し、レミーの騎乗補助も終えた。

 スラーを横抱きに抱え込んで俺も背に乗った――が、この時点で結構高い。

 さらに飛ぶとなるとこんなものの比ではない高さになるだろう。

 なるべく下を見ないようにしよう、と心に誓う。


「どうかお気をつけて。こちらは私とシドにお任せください」

「トーン兄貴、帰ったらクロス・コスモスの香油と香水をありったけ送ってもらえる? 全然足りないや」

 フラットとシドが地面から俺を見上げて言った。

 飛竜の定員問題もあるが、主君を失ったグランディオをこのままにはしておけないということで、フラットとシドを残して当面の復興指揮を執ってもらうことにした。

 薬物の支配から解放された人々は大多数がムジーク王国に対して好意的で――元々フェルマータと友好国だったからだと思うのだが――内政干渉ではないかと躊躇う俺に、逆にこれからの指針をくれと懇願してくるほどだったのだ。

 この様子なら他国の王族に対して滅多な気は起こさぬだろうと判断し、弟たちもグランディオに留まることを承諾してくれた。

 随伴してきた騎士も残すので、万が一の事態にも完全な無防備にはならないだろう。

 電撃を受けた母飛竜はまだ息があることが分かった。

 難しい意図をよく読み取ってくれたと、雷の精霊と話せるなら礼を言いたい。

 ただ覚醒した時にまだ薬物の影響が残っているかどうかは未知数なので、厳重に拘束しておくよう言い含めておく。

「香水については手配しよう。とりあえず、シャープの無事を見届けたら一度戻ってくる。それまで、よろしく頼んだぞ」

「かしこまりました。……レミー、シャープのこと、お願いしますね」

「う、うん」

 先程まで動転していたレミーも何とか落ち着きを取り戻したようで、分厚い本を胸に抱えて神妙に頷いた。

「南の、ムジーク王国王宮へ連れていって」

 スラーの一声で飛竜が羽ばたき、周囲に風が巻き起こった。

 ふわり、と浮かぶ感覚の後、飛翔を始める。

「グランディオの民よ!」

 地上で手を振る者たち全員に届くよう、声を張る。

「人命を助けるために、スレイア姫と飛竜を今一度ムジークにて借り受ける。ムジーク国王の名のもとに人道的に遇することを誓い、必ず戻ると約束する」

 お気をつけて、ご無事を祈ります、スレイア様、という声援の余韻を耳に残し、飛竜たちはコロシアムを出て空へと翼をはためかせた。

 あっという間に小さくなっていくグランディオ城。

 ただでさえ気温の低い土地であることに加え、その上空の寒気が否応なしに肌を刺す。

 俺は腕の中にいるスラーを毛布でしっかりと包み直した。

「魔力が残っていれば熱の精霊に頼れたんだが……寒くはないか?」

「はい、ありがとうございます」

 笑って礼を言ってくれたものの、顔に疲れがくっきりと表れている。

 当然だろう、今まで一人きりで辛い思いをしてきたのだ。早く安全な場所で休ませてやりたい。

 毛布越しに伝わってくる造形は、数日前の少女の感触とは似ても似つかなかった。

 もう、あの頃のスラーはいなくなってしまったのだ。過ぎてしまった時は戻せない。

「どのくらい、時を進めたんだ」

 俺の問いに、少しだけ身を縮こまらせるスラー。

 自分では意識していなかったが、存外に咎める色が含まれてしまったのかもしれない。

「……八年、です。だから、今度の誕生日で十八になります」

 八年、とスラーの言葉を口中で反芻する。

 大人になってからの一年とは訳が違う、若いうちの貴重な経験をすべき数年間を、彼女に失わせてしまったのか。不甲斐なさに歯噛みする。

 だがそれ以上に、何が起こるか分からない時魔法を使って、八年もの時を無事越えられたことに、心の底から安堵した。

「まったく、無茶をする……!」

 毛布ごと、スラーを抱き締める。

「ごめんなさい」

 胸の中で、消え入るような声がした。

 違う、伝えたいのはそんなことじゃない。

「いや……自分の身体を大人にしてまで、ムジーク王国を守ろうとするスラーの気持ちが嬉しかったんだ。あの時、多くの国民の命が救われた。ムジーク国王として心から感謝している」

「いいえ、そんな」

「だけど」

 謙遜するスラーの言葉を遮って。

「……俺自身は、ものすごく辛かった。スラーにそんな重大な決断をさせてしまって。危険に身を投じさせてしまって。――守ってやりたいと思っていたのに、俺の方が守られてしまって」

「…………」

「もう二度と、俺のために君を危険な目に遭わせないと誓う」

 決意を込めて、静かに宣言する。

 覗き込んだスラーの瞳は複雑な感情をないまぜにして、迷うように伏せられた。

 いろいろありすぎた後にこんなことを言って、混乱しているに違いない。

 その時、びくっと一瞬身じろぎしてスラーが腕を押さえた。

「傷、痛むか」

「……少しだけ。でも、血が必要になったからちょうどよかったです」

 俺は苦笑した。怪我をさせてしまったのに「丁度良かった」などと言わせてしまうとは。自分が情けなくなる。

「俺が、もう少し早く来られていれば……本当に、すまなかった」

 スラーが、首を横に振る。

「謝らないでください。トーン兄さま自身が来てくれるなんて、わたしは夢にも思っていなかったんです。気がついた時、目の前にいらっしゃるのが信じられませんでした。びっくりして、嬉しくて――」

 切なく表情を歪めて、ぎゅっ、と毛布の縁を掴む。

「でも、同時に……すごく、怖くなって。わたしはトーン兄さまを危険から遠ざけたくてひとりでここまで来たのに、どうして、って」

「……そうだよな」

 スラーからすれば、俺が危険を冒してまでグランディオに来ることは、自身の行動を無意味にされたと同義だろう。

 それが自分を助けるために来たのだと分かれば尚更だ。

「こんなことを考えてはいけないとわかってるんですけど……これでもし、シャープ兄さまが助からなかったら、わたしは……一体どうお詫びすれば……!」

 顔を覆うスラー。

 身体が震えているのが腕に伝わる。寒さだけではない、俺に再び大事なものを失わせてしまう恐怖に怯えているのだ。

 俺が助けに来たことについて、スラーが手放しで喜ぶことはないだろうと思ってはいた。拒絶すらされかねない、と。

 救出こそ成功したものの、かつて抱いた不安が現実になりつつある。

「詫びなど、考える必要はない。俺がどうしても助けに行きたかったんだ。……どうか自分を責めないでくれ、スラー」

 慰めにと紡いだ俺の言葉にも、スラーが素直に頷いてくれることはなかった。

 彼女は助けなど望んでいなかったのだ、全ては俺のエゴを押しつけただけなのだから、と卑屈な俺が心の中で囁く。

 ここ数日の目まぐるしさが嘘のように、遠くの景色がゆったりと流れていく。

 夕日が海に落ち、波立つ水面(みなも)を琥珀色に照らしていた。

 俺とスラーは無言のまま、暮れゆく空の淡い色の変化を見つめていた。


   * * *


 二匹の飛竜が地面を蹴り、コロシアムの天井を抜けた。

 乗馬にはない浮遊感に、レミーは顔を(しか)める。

 レミーの頭の中は、恐怖でいっぱいだった。

 大嫌いな爬虫類を巨大化したような生き物の背に乗ること。

 人の身では体感し得ない高所を飛ぶこと。

 目の前で兄が――大好きな人が――生死の境を彷徨(さまよ)っていること。

 そして、彼の命を救えるかどうかが、レミー自身の手にかかっていること。

 そこかしこに散らばる『死』の気配が、レミーの心を委縮させる。

 長兄トーンからの頼みに、一も二もなく頷いた。シャープを助けたい気持ちは、その場にいる誰よりも持っているつもりだった。

 魔力が残っているのも、精霊魔法を医療転用する術を知っているのも、そしてそれを使いこなせるのも、レミー以外に適任者はいなかったのだ。

 だが、こうして実際の重圧に怖気づく自分がいる。

 ヘオンから託された精霊魔法の便覧を開くが、上空の風は強すぎて思うように頁がめくれない。

 そこで初めて、この風をまずどうにかしなければならないことに思い至る。

 気づいた途端、急激に気温の低さを痛感した。これでは瞬く間にシャープの体温が奪われてしまう。

《飛竜の背に、無風の天蓋を》

 震える声で風の精霊に呼びかける。

 レミーとシャープの周辺だけ、冷たい強風が届かなくなった。耳に当たるごうごうという音も消えて静寂が訪れる。続けて、

《シャープの周囲に温かく心地良い熱を》

 熱の精霊に保温を頼む。

「あとは、時魔法で治癒を――」

「……嫌だ」

 呟きに、思いがけない拒否の声が返る。

 はっとして見ると、シャープが薄く目を開けてレミーのことを睨んでいた。

 時の精霊による回復魔法が寿命を削ることはレミーも知っている。

 だが目の前の男は、放っておけばそのまま死んでしまうかもしれないのだ。

 直近の死を回避するために、時魔法を使うことは最適解だと判断したのに。

「アンタ何考えてんのよ、死にたいの!?」

「死にたい、ワケ……ねェだろが……」

 青褪めた顔で、荒い息遣いをも無視して、シャープは言う。

「こんな、ところで……死んでたまるかよ……! 兄貴が隠居してもずっと護ってやるって、約束したんだからな……オレだけ寿命縮めるとか、冗談じゃねェ……っ」

 彼の、執念にも似た独白を聞いて、レミーの胸は締めつけられた。

 今この場で、一体誰が一番、彼の身を心から案じていると思っているのか。

 レミーの気持ちがまるで余計なことだと言わんばかりの言動に、頭の奥がカッとなる。


「何よ、口を開けばお兄ちゃんのことばっかり! わたしだって、アンタに死んでほしくないわよ、好きなんだもん!」


 言い切った後に、とんでもないことを口走ったと気づいて口を覆った。

 顔が紅潮していくのが自分でも分かる。

 シャープは虚をつかれたように数度瞬き、そして無理に身体を起こそうとした。

「……分かったから……その、泣くなよ。大袈裟だな」

「……!」

 泣きそうに、見えたのだろうか。

 実際泣きたくなるほど恥ずかしいが、それ以上に『心配する妹』を『兄として』慰めようとしたとしか思えないシャープの行動は、やはり絶対に越えることのできない壁を改めて実感させて、別の意味で涙腺を刺激した。

 こんなことで無駄に体力を消耗させてしまったことにも自己嫌悪を感じる。

「とにかく……オレは、死なねェから……時魔法だけは」

 懇願までされてしまった。

 本当に出てきた涙をぐいっと袖で拭い、意識的に眉を吊り上げる。

「大人しく寝てなさいよ、馬鹿。お望み通りやってあげるから、後で死ぬほどわたしに感謝してよね!」

 レミーの強がりを知ってか知らでか、シャープは少しだけ苦笑して、

「……そうする。頼りにしてるぜ、レミー」

 優しい声音と共に、再び目を閉じて苦しげな息を吐き出した。

 レミーは胸元を押さえた。

 大好きな人に名を呼ばれて頼られることが、こんなにも嬉しいなんて。

――例えそれが、妹に向けるものだとしても。

「絶対に、死なせないんだから」

 レミーは自分を鼓舞するために、軽く両頬を叩く。いじけている余裕などない。

 怪我の詳細など見ただけでは分からないし、その必要もない。

 専門的なことは医師に任せて、体力を温存させ苦痛を取り除く方法を片っ端から試すことが、今レミーに求められている応急処置の全てだ。

 シャープの様子を改めて観察する。

 外傷からの出血は止まったが、胸の激痛が続いているらしく、額周りから首元まで髪が汗で濡れている。呼吸は速く不規則で、浅い。喘鳴(ぜんめい)の混じる音は、先程の喀血も関係しているだろう。

 飛竜の重い一撃がシャープの身体を打ち据えるのを目の前で見ていたのだ、あれで何らかの臓器を損傷していないほうがおかしい。

 時の精霊に依頼するのは、目に見えない部分の止血のみ。念の精霊に痛みを取り去ってもらい、熱の精霊で炎症を抑え、光の精霊で消毒を施し、風の精霊で気道を掃除し呼吸を補助する――

 目録に載っている、関連のありそうな手段を全て施し終えた頃には、レミーが不得手な闇の精霊に頼ることなく、シャープは安らかな寝息をたてていた。心なしか顔色も良くなっているような気がする。

 このまま風魔法の呼吸補助を続けていれば、少なくともムジーク王宮までは持ちこたえるだろう。

 創樹祭の頃に縮んでしまったフォルスは完全に戻りきってはいなくとも、到着まで何事もなければ恐らく魔力も足りる。

 汗をハンカチで拭いてやり、ほっと息を吐いた途端、レミーの視界はぐにゃりと歪んだ。

 空の上にいるのに、海の中に落ちたかのように揺らぐ。

 ぼろぼろと、雫が頬を伝い落ちていく。もう、涙は自力で止められなかった。

 レミーの勢い余った告白は、誰にも――当人にすら――気づかれることなく玉砕したも同然なのだ。

「……もう……ほんと、ばか」

 誰に言うでもなく、眠る最愛の兄に背を向け、レミーは膝に顔を(うず)めた。

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