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国王と七音の旋律 ~ムジーク王国記~  作者: 卯月慧
第十話 国王の葛藤と決意
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国王の葛藤と決意(3)

 人払いをした医務室に入る。

 ベッドに横たわって眠るソファラ、そして枕元の椅子にはレミーが腰かけていた。

 隣のベッドはもぬけの空だ。

「ヘオンは?」

 小声でレミーに問いかけると、妹は肩を竦めた。

「部屋に帰ったわよ。ここにいてもつまんないからって」

「つまらないとかそういう問題ではないだろうに、アイツめ」

 俺は呆れて溜め息をついた。

 ヘオンのマイペースは今に始まったことではないが、怪我の程度も決して軽くはないはずだ。

 同じくこの場にいないシドも一緒に連れてくるよう双子に頼み、俺はレミーの反対側に回り込んでソファラの顔を覗き込む。

「……少しやつれたか」

「強制的に眠らせてるからね。絶対安静、なんて言っても聞くわけないし」

 いつもの快活な瞳が見えないせいだけではない違和感が、末の妹を包み込んでいる。

 頭部の包帯が痛々しく、布団を掛けられた足の方などは見る勇気すらなくて、想像するだけで胸が痛む。

「すごいわよね。この子、専属護衛としてちゃんとスラーを護ったんだから」

 ただでさえ涙腺が緩んでいたところへ、レミーが感慨深げに言うものだから、俺は堪えきれなくなって鼻をすすった。

「ちょっと、何泣いてんのよ」

「うう……誇らしい気持ちと、何故ソファラがこんな目にという気持ちが、俺の中で吹きこぼれてしまって」

「もう、お鍋じゃないんだから」

 苦笑するレミー。

 でもね、と言葉を継ぐ表情はどこか清々しい。

「瓦礫の落ち方が奇跡的で、救出も早かったから、足の怪我はそれほど深刻じゃないんですって。骨がちゃんとくっつけば、今まで通り騎士団としての活動もできるみたいよ」

「そうか……そうか!」

 この怪我のせいでソファラの自由な未来が絶たれてしまったら……と考えると絶望しかなかったが、それを聞いて俺は心底ホッとした。

 ぼやけた視界で、良かったな、と呟きながら頬を撫でてやる。

 その感触に反応してか、ソファラが少しだけ瞼を震わせた。が、目を覚ますまでには至らなかった。

 あの夜はどうしていたかとか、今までの王宮の様子などをしばらくレミーと話していると、外から複数の足音が聞こえてきた。

 シャープ、シド、ヘオンと続き、最後にフラットが入って静かに扉を閉めた。

「全員揃ったか」

 俺は立ち上がり、弟たちを迎える。

 ヘオンはレミーの隣、シドはソファラの足側の椅子にそれぞれ腰かけ、シャープは壁に寄り掛かり、フラットは俺の横に立った。

「ヘオン、怪我の具合はどうだ」

「まぁまぁかな」

 二日しか経っていない状況で良くなるも何もないだろうが、ヘオンはそれでも無難な返事を投げてよこした。

 左腕は白い粘土を固めたようなもので覆われており、若干身動きしづらそうなものの、見た目の怪我の痛々しさは和らいでいる。

「弟が用意してくれた土を使って魔法で覆ってみたら、これが意外と良くてね。軽くて硬い。骨折治療だけじゃなくて、いろいろ応用が利きそう」

 ヘオンは楽しそうに言って、こつこつと左腕を指先で弾いてみせた。

 自身の怪我さえ研究材料にしてしまうとは、その探求心には恐れ入る。

「それより、たっぷり寝てちょっとは冷静になった?」

 皮肉げに問われ、俺は唾を誤(えん)して()せた。

 フラットに背中をさすられつつ、何とか呼吸を整える。

 どこまで俺の醜態は広まっているのだろうか。おじいちゃんみたいな噎せ方をしたのもあって二重の意味で恥ずかしい。

「だ、大丈夫だ。……今日はそのことで皆に相談があって、集まってもらった」

「良かった。今度はわたしたち、蚊帳の外じゃないってわけね」

 レミーが足を組み、くすくすと笑う。

 普段は国家運営の根幹に携わる者だけで物事を決めてしまうことが多いから、そうでない者は疎外感もあったのだろう。それは致し方ないことではあるが。

「今回は非常に個人的な感情で、俺の身勝手で、かつ重要なことだから、俺一人で決めてはならないと思う。皆の意見を聞いて、冷静に、慎重に決めたいんだ」

 一人ひとりの目を順番に見ていく。

 視線が合うと、それぞれが力強く頷いてくれた。

 意を決して、結論から切り出す。

「俺は、スラーを迎えに行ってやらねばならないと思っている」

 口を開く者はいない。

 俺の言葉の続きを待っているのだと察し、続ける。

「スラーと直接話したわけではないから、何を思ってグランディオに帰ったのか、本当のところは分からない。スラーがどうしても帰りたくてそうしたのなら、その意志は尊重されるべきだと思う。……だが、俺にはそうは思えないんだ」

 あの日の夜。全てを聞いた上で尚、ここにいてもいいかと問うてきた。

 それが別れの言葉と必ずしも繋がるとは思いたくない。

「わたしとソファラはスラーと一緒にいることが多かったけど、祖国に帰りたいそぶりなんてちっとも見せなかったもの。お兄ちゃんと同意見」

 レミーの同調に頷き、続ける。

「スラーには過去を話した。グラッセの所業と、ヴェルテ国王の娘であるスラーへの執着は、どう好意的に解釈してもスラーにとって優しいものではあり得ない。たった一人で国へ戻って、どういう生活を強いられるのかは、想像を絶する」

「恨み募って殺したいだけなら、わざわざ連れ帰る必要なんてないからね。そうしなかったのはきっと、生かしておくことに意味があるからだと考えるのが自然だ」

 ヘオンが俺の言葉を補足する意見を付け足した。

「あちらにもスラーの味方はいるかもしれない。だとしても、疑心暗鬼の中で確実に味方だと判断できる材料が一体どれだけあるだろう。身体が成長しても、中身はまだ九歳の子供なんだ」

 頭の中で、子供のスラーと大人になったスラーの姿が重なる。

「スラー自身は助けなど必要ないと思っているかもしれないが……そんなことは二の次だ。グラッセから引き剥がした後でどうするかを、ゆっくり決めればいい。それよりこのままグラッセを放っておけば、いつまたムジークが狙われるか分からん。奴の思惑と相容れないことは、二年前と、先日の襲来で身にしみた。これ以上、俺の大切なものを壊されたくない」

 一呼吸置いて、正面を見据える。

「だから……スラーの、そしてムジークの未来のために、脅威となる可能性のあるグランディオを潰したい」

 しん、と静まり返る室内。

 きっと皆、いろいろ思うところはあるだろう。

 賛成も反対も、どんな意見でも耳を傾けるつもりで構えていると、向かい側からはぁぁと深い溜め息が聞こえた。

「ぬるい。動機がぬるいわ」

「は?」

 予想の範囲内になかったダメ出しが飛んできて、俺は頓狂な声を出す。

 レミーは足を組み、やれやれと両手を肩まで上げながら言った。

「お兄ちゃんが国や国民を守りたいって思うのなんて、普通。超普通。いつも通り。あーハイハイって感じ」

 言い草も酷いが、態度が輪をかけて酷い。

 俺の頼みはそんなにダメダメだったのだろうか。

 周囲がレミーを止めないのがその証左かもしれない。

「あのね、王様としての美辞麗句は要らないの。わたしたちは、お兄ちゃん自身の本音が聞きたいの。何のための家族会議よ」

「本音……」

「スラーの気持ち、もう気づいたんでしょ? あの子、本当にお兄ちゃんのことが好きなのよ。自分を犠牲にしてでも、お兄ちゃんの大切なものを守りたいって思っちゃうくらいにね」

「……!」

「国や民のためだとか、スラーの未来のためだとかを言い訳にしないで。お兄ちゃんがどうしたいのかを、わたしたちに教えて。……お願いよ」

 最初こそ心が折られそうになったレミーの言葉には、茶化す色は微塵もなかった。

 真剣な瞳を向けられて言葉に詰まる。

「トーンにぃ……」

 その時、ベッドから小さな声がした。

 はっと視線を移すと、ソファラが目を開けていた。

「ソファラ!」

 顔を寄せて手を握る。

 妹は元来の力とは比べ物にならないほど弱い力で握り返してきた。

「アタシ、悔しいんだ……スラーのこと守り通せてたら、こんな決断させなかったのに。絶対に、スラーはトーンにぃのことを待ってるはずだよ」

 あの明るいソファラの声が、涙に濡れている。

 きっとソファラも間近でスラーを見てきたからこそ、確信を持ってそう言えるのだろう。

 妹たちに背中を押されて周囲を見回せば、同じ血を分け合ったロイヤルブルーの瞳が真摯に俺を見つめていた。

 同時に、今まで当然のように俺たち兄弟と共にいた少女の姿を無意識に探していたことに気づく。

 そして、一度気づいてしまったら、揺さぶられる心はもう止められなかった。


 スラーは、俺のことを心から慕ってくれた。

 たくさんの笑顔をくれた。

 俺のために泣いてくれた。

 俺の心を優しく包み込んでくれた。

 命の危険を冒してまで、俺と、俺の大切なものを守ってくれた。

 脳裏に浮かぶ、聖女のような姿。儚い微笑みは、全てを諦めたように見えた。

 笑っていたのに、俺には泣いているように見えたのだ。

 その手を取って、抱き寄せたい。

 柔らかな髪を撫で、透き通った瞳を見つめて、ぬくもりを腕の中に閉じ込めてしまいたい。

――今すぐに、会いたい。


「……俺は、許せない」

 心の衝動に突き動かされるままに口を開く。

 奥から湧き出てくるものは、怒りか。

「グラッセを許せない。過去のことはもちろん、スラーから平穏を奪い、自分の欲望のままに利用するであろうことが。スラーがグラッセに何をされるか想像するだけで、いても立ってもいられなくなる。……だがそれ以上に、時の精霊に頼る危険性を知っていながらそれを使う覚悟をスラーにさせてしまった俺の不甲斐なさが、許せないんだ」

 拳を固く握る。

「誰かを犠牲にして贖った国でのうのうと王様をやっていられるほど、俺は腑抜けではない。その誰かが、大切な人だというなら尚更だ!」

 感情が高ぶり、視界が水没する。

「……そう、大切、なんだ……俺はスラーを、誰にも渡したくない……!」

 人前で初めて口にした、スラーへの思い。

 俺の言葉を静かに聞いていたきょうだいたちは、どう思うだろう。

 あんな小さな子を、と蔑むだろうか。年甲斐もなく、と笑うだろうか。

 しばらく落ちた沈黙。

 それを破ったのは、誰かが微笑む音だった。

「良かった。それが聞きたかったのよ」

 レミーがいたずらっぽい笑みを浮かべる。

「奪われたなら、奪い返せばいいじゃない」

 へオンは事も無げに言い放って、

「好きな人の近くにいたいって思うのは、フツーのことだろ?」

 ソファラも涙を拭って、頬を上気させながら笑顔を見せた。

「パシオネを盛られるかもしれないし、急いだ方がいいんじゃないかな」

 シドが冷静に怖いことを告げ、

「兄貴が殴り込みしてェってンなら、オレはいつでも準備できてるぜ」

 シャープが拳でもう片方の掌を叩き、

「兄さんのやりたいようになさるのが、ひいては国のためになるのですよ」

 フラットが優しい口調で全てを肯定した。

「……お前たち……!」

 きょうだいの言葉を聞いて、涙が止まらなくなってしまった。

 俺がみっともなく泣くのを嘲笑する者はいない。

 長男として皆を立派に導いていかねばという心の柱が、折れるというよりは支柱によって補強された感覚。

 兄としてだけではなく、ありのままの俺個人を支えたいのだという皆の気持ちが伝わってきたのだ。

「ありがとう……やはり俺は、お前たちがいないと駄目だな」

 フラットから手渡されたハンカチで涙を拭う。

 深呼吸し、心を落ち着けて、しっかりと前を見据えた。

 やっと、自分の本当の願いが分かった。

「俺は、俺が求める未来のために、スラーを奪還する。――皆。改めて、力を貸してくれ」

 その言葉に、ここにいる全員が強く頷いてくれた。

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