国王の葛藤と決意(2)
「……――っ!!」
俺は勢いよく跳ね起きた。
声が、頭の中で残響する。
鼓動は走った直後のように速く、衣服が汗で身体に貼りついている。
忘れていた呼吸を取り戻してやっと息を吐き出すが、脱力と同時に身体の節々がギシギシと痛む。
明るく差し込む朝日とは反対に、心の中で暗い闇が渦巻いていた。
悪夢を見ていた。
やたらと現実感のある夢だった。
ムジーク王宮が飛竜の炎にさらされ、弟や妹も大怪我をして、その上スラーまでもが――
「……スラー?」
その名を口にした瞬間、脳に閃光が走る。
見えたのは、煙渦巻く闇夜の中で、白いワンピースに身を包み、俺に向けてふわりと優しく微笑んだ女性の姿。
忘れられるものか。忘れてなるものか。それがいくら信じがたい現実だとしても。
あれは夢ではない。全ては突然始まって唐突に終わったこと。
――彼女は、行ってしまったのだ。俺の手の届かないところへ。
「くそ……!」
指が白くなるほどの力でシーツを握りしめる。
喪失感が胸をえぐり、何もできなかった後悔と悲しみは吐き気を催すほど強く襲いかかってくる。
しばらく俯き心の痛みに耐えていて――ふと気がついた。
何故俺は、眠ってしまっていたのだろう。
いつの間にか着替えさせられているし、毎朝飲む紅茶も用意されている。
あまりにいつも通りな光景が逆に焦りを呼び起こした。
こうしている間にも、スラーは大変な目に遭っているかもしれないのに。
ベッドから飛び降りたものの、予期せぬ立ちくらみに襲われて再び腰かける羽目になったその時、遠慮がちなノックの音が響き、俺ははっと顔を上げた。
「! 陛下、お目覚めでしたか」
扉の隙間から顔を覗かせたフラットが驚いた声を出す。
背後に伴ったシャープと共に俺の元へと歩いてきたが、二人とも何を言っていいか分からないといった様子で佇んでいる。
その沈痛な表情を見て、やはりあれは本当に起きたことなのだとさらなる絶望に打ちひしがれた。
二人に笑いかける余裕はなかったが、昨夜の出来事でショックを受けているのは俺だけではないのだと思いあたり、余計な心配はかけまいと口を開く。
「おはよう、二人とも」
自分でも驚くほど普段通りの調子で声が出た。
こういう時に感情を抑え込むのも慣れたものだな、と心の中で自嘲しながら、ゆっくりと立ち上がる。
「お召し替えでしたら、人を呼びますか」
「いやいい、自分でやる。座って少し待っていてくれるか」
かしこまりました、と一礼するフラットを横目に洗面台へと移動するが、いつもより空腹感が強くて少し足元がふらついた。
鏡に映った自分の顔が憔悴しきっていて、思わず苦笑してしまう。
これでは弟たちが言葉を飲み込むのも無理はない。
顔に冷たい水を浴びたことで、幾分冷静さを取り戻してきた。
スラーのことが心配だからと、何もかもを放り出すことはできない。
俺は国王として背負っているものがある。私情に流されて本来やるべきことを見失うわけにはいかないのだ。
簡単な着替えを済ませて戻った時、フラットが紅茶と軽食を用意してくれていた。
既に座っているシャープの対面に腰掛ける。
「その、悪かった」
突然シャープが謝ってきたので、俺は面食らう。
「何の話だ?」
「いや、強引な手段を取っちまったな、って」
反省というより不安そうな口ぶりの説明は、どうにも要領を得ない。
フラットが盆からカップを下ろしながら補足した。
「あの日の夜、シャープが闇魔法で兄さんを眠らせて、ここまで運んだんです」
「……ちょっと待て。あの日の夜?」
えぇ、と言いづらそうに表情を曇らせて、フラット。
「飛竜の襲撃から、二日経っています。兄さんはずっと眠りっぱなしだったんですよ」
「あんなに取り乱す兄貴を初めて見たから、ちょっと焦ってよ。加減できなかった」
シャープが気まずそうに頭をかく。
どうやら強制的に眠らされていたらしい、道理で立ちくらみはするしめちゃくちゃ腹も減っているわけだ。
しかもそんなに深く催眠が効くほど取り乱していたのか俺は。
「……すまない、恥ずかしいところを見せたな」
羞恥で顔が熱を持つ。
二日も貴重な時間を失ったことについて俺にシャープを責める資格もなく、取り乱した理由を追求される前に話題を逸らすべく咳払いした。
「現在の状況を教えてくれ。少し整理したい」
フラットが書類を渡してきたのでザッと目を通しつつ、同時に耳から報告を入れて頭に流し込む。
グランディオから飛竜を駆って直接乗り込んできたグラッセ。
目的はスレイアの身柄の返却、そしてムジーク王国を支配下に置くことだったらしいと、最初の宣言を聞いた者からの証言があった。
スラーが現れてから飛竜の動きが大人しくなり、これ以上の侵略は不可能だと判断し撤退したと見られる。それは俺も間近で見ていたからよく覚えている。
グラッセのような男が、父と母を殺したことで溜飲を下げ、これ以上何もしてこないだろうと考えていたのは俺の慢心である。
二年前の事件以降、国境こそ見張らせていたものの、飛竜を用いて空から襲ってくることまで推測せねばならなかったのだ。動向は注視すべきだったと反省する。
王宮の被害状況や怪我人などは、夜だったこともあって数字で見ればそれほど深刻ではなさそうなものの、闇の中で炎を吐きながら吠え猛る飛竜を目の当たりにした者が、心に受けた衝撃はいかほどだろう。
炎弾によって崩れた建物の下敷きになったソファラと、尾が当たって左腕を砕かれたへオンは現在治療中だという。
後で見舞いに行ってやらなければ。顔を見ただけで泣いてしまいそうだが。
「壊れた部分の修復は、昨日のうちに済みました。後処理もほぼ終えて、今は不安を訴える国民への説明対応が主ですね」
「常々思っているのだが、俺がいなくても問題なさそうだなぁ、この国は」
起こしてもらえなかった皮肉も含めて、半分冗談、半分本気でぼやく。
フラットが憐れむような目で俺を見た。
「情けないことを仰らないでください」
続けてシャープも何かを思い立ったように顔を上げ、睨んでくる。
「あっ、まさか、いなくてもいいなら一人でグランディオに乗り込もうとか思ってンじゃねェだろうな」
腰を浮かして今にも飛びかかられそうだったので、俺は慌てて否定する。
「お、お前じゃないんだからそこまで無謀はしない」
「……ならいいけどよ」
すとん、と椅子に戻るシャープ。
お前じゃないんだから、の部分に反論がなかったのが気にかかる。自覚しているなら直してほしい。
「どうして我が国の官吏が皆優秀なのかご存知ですか?」
フラットの問いに、サンドイッチを頬張りながら考える。
「先代たちがそういう風に教育してきたからじゃないのか?」
それもありますけど、とフラット。
「皆が、国王陛下の幸せを第一に考えて行動しているからですよ」
「う……そんな滅私奉公の上に成り立っているのか」
俺のための労働を強いているつもりはなかったので愕然と呟くと、フラットは首を横に振って苦笑した。
「違いますよ。というか、兄さんは本当にそういうの苦手ですよね」
「だからいい加減慣れろって。アンタはこの国で一番大事な人間で、だからこそ相応の責任を負ってる。勝手に責任だけ抱え込まれて護らせてくれねェってんじゃ、こっちだってソワソワするわ」
シャープにも愚痴のように言われた。
今までにも何度か、近衛騎士の護衛の任を勝手に解いたことがあってその度に怒られている。
「……すまん」
小さくなって謝る。
責められているわけでないが、性分だからと開き直るわけにもいかないのは分かる。
「まぁ、目下の者を思いやってくださるのは、兄さんのいいところでもあるんですけどね」
そう言って、フラットが昔話を始めた。
「私たちの先祖――何代か前の国王陛下が、とても心配性な方でしてね。即位後、国をうまく治められるかの不安感から民への締めつけを強くしたら、不満が爆発して少しずつ国が荒れだしました。それも人災だけでなく天災も目に見えて増える形だったものですから、これは政だけの問題ではないのではないかという話になりまして」
「ふむ」
「精霊の力が正しく作用していれば、少なくとも自然災害は減らせるはず、と当時の官吏たちが試行錯誤し、王気の加護を受けている国王陛下を安心させるべく国の体制を整えたら、陛下の心労が減るにつれて不思議なくらい安定していったんだそうです」
つまり、国王の心理状況がそのまま国土全体の精霊に影響してしまうということか。
精霊廟で祈る時に王気を探られるが、恐らく精霊王を介して心が精霊たちに伝わってしまうのだろう。
もちろんすぐさま反映されるわけではないだろうが、これは迂闊に不安になれないな。
「あ、国王は不安になってはいけないということではありませんよ」
俺の心を読んだかのようにフラットが注釈を入れる。
「むしろ、不安があればどんどん言っていただきたいのです。それを解消するために動くのが、我々臣下ですから」
シャープもうんうんと横で頷いていて、俺は苦笑する。
「どんな愚王でも、機嫌を取らねばならないというのは地味にキツイな」
「皆に嫌われているのが分かっていて尚、改善しないような愚かな王なら、自然と王気が濁って退位させられますから心配いりませんよ」
国の存続という意味では確かにそれでいいのだろうが、当事者の立場になってみると冗談ではない。
俺は自然と背筋を伸ばす。
「国王の心の安寧が国土の安定に繋がると、皆が理解しているからです。国王のために働くことが国民の幸せに繋がると、皆が信じているからです。だから兄さん、どうぞご自身の幸せを追求してください。兄さんが――国王陛下が幸せを感じ、自信に満ちた姿を示している限り、民も精霊もそれに応えるのです」
胸の前で、祈るように両手を組んで。
「労り、愛し、慈しむ心。それこそが兄さんの力の根源なのですから」
フラットがにっこりと微笑んだ。
こういう状況で柔らかく笑うことができる弟は素直に凄いなと思う。
赦された気持ちになり、心が軽くなってきた。
「兄貴がそうしたいって言うなら、オレたちが全力で補佐するまでだ」
シャープも気概に満ちた表情で言い切る。
二人とも、俺が何をしたいと考えているのかなどお見通しといった様子だ。……これは敵わないな。
「ありがとう、二人とも。俺が国王としての任を終えるその時まで、ついてきてくれるか」
俺の言葉に、双子は同時に噴き出した。
「水臭ェこと言うなよ、国王引退して隠居生活に入ってもついてってやるぜ」
「毎日お茶を淹れて差し上げますから、どうぞ平穏なる老後をお過ごしくださいね」
「ははっ、それはいいな」
老後の生活まで想像されているとは思わず、俺もつられて笑ってしまう。
ひとしきり笑い合って、俺は立ち上がった。
「では、場所を移そう。三人だけで完結させる話でもない。――家族会議だ」




