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国王と七音の旋律 ~ムジーク王国記~  作者: 卯月慧
第十話 国王の葛藤と決意
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国王の葛藤と決意(1)

ここから、同人誌版『ムジーク王国記』4巻の内容に入ります。

毎週月曜12時更新。エピローグまでノンストップでお送りする予定です。

 極寒の地、旧フェルマータ王国。

 一年を通しての平均気温が低い北の国々の中でも、霊峰フェルメトの中腹に領土を持つ標高の高さから、暦の上で春を迎えてもなお雪が降り続ける。

 元々暮らしていくには厳しい土地であることに加え、革命によって『グランディオ皇国』に名を変えてから搾取が激しくなる一方だが、それでも人々が住み続けるのは、貴重な鉱石資源が豊富であるからということの他に、もう一つ理由があった。


 それが『神の竜の庇護』――霊峰フェルメトに棲む飛竜からもたらされる恩恵に感謝する信仰だ。


 身体の内に炎を飼い、一対の巨大な羽を持つ二足の竜は、フェルマータ国王となる者だけが操ることができる飛竜。

 その神秘性から、畏敬の念を込めて神の竜と崇められるようになった。

 神の竜を擁する霊峰フェルメトを崇め、国民が皆、二つ目の姓として国名でもあるフェルマータを戴くことからもその片鱗が窺える。

 実際、飛竜の生態や行動が国民にとって直接何かの益になるわけではなかったが、霊峰が作り出す自然の要塞と、象徴とする飛竜の存在は、他国からの侵略を容易ならざるものにした。


 霊峰から、遠雷の如き鳴き声が響く。


 革命の際に国王と共に滅びたと思われていた飛竜だったが、山奥深くに一匹の母竜と卵二つが残っているのが見つかり、国中が歓喜に沸いた。

 成長を見守り、大きくなった飛竜たちを皇帝グラッセが意のままに操ってみせた時、国民たちは血塗れの玉座に着く彼をついに認めざるを得なかった。


 鳴き声が、そのまま泣き声(・・・)であることにも気づかずに。


   * * *

 

 スラーは、早く大人になりたかった。

 

 父のように慕っていた前ムジーク国王オクターヴに、頭を撫でてもらった時の安心感。一方的に庇護を受けている状態でのその感覚は『子供』の象徴でもあった。

 子供であることに初めて違和感を覚えたのは、オクターヴの息子である現ムジーク国王トーンに頭を撫でられた時だった。

 最初こそ、純粋に嬉しかったし、もっと撫でてほしいとさえ思った。

 いつからだったろう。気持ちいい、温かい、ほっとする――そんな淡く幸せな感覚の中に、何とも言えないもどかしさが混じったのは。

 心の奥底に生じた負の感覚は、対等に扱ってもらえないことへの『不満』、こちらから安心を与えてあげることができない『悔しさ』と名を変え、撫でられるたびに大きくなっていく。

 やがて明確に恋を自覚してからは、素敵な女性がトーンの心を射止めてしまうのではないかという『焦り』と、そんな女性を探そうとする周囲に対する『苛立ち』が加わって、最終的にトーンへの『反発』となって表に噴出した。


 父親代わりなんかじゃない。

 子供扱いしないで。

――スラーだけを見て。


 小さな身体で見上げる顔は、遠い。屈んでもらって初めて近くで覗き見ることができる、優しくて温かくて大好きなロイヤルブルーの瞳。

 その視線を独り占めしたいなんて願ったから、きっと、罰が当たったのだ。




――くるしい。

 飛竜の切なる声が、耳に届く。

 スラーは、グランディオ城の地下牢に監禁されていた。

 岩山をくり抜いただけの、剥き出しの岩肌を壁とする小さな牢は暗い。

 外部と隔てる風化した木の扉は鼠が行き来できるほどの隙間があり、風を容赦なく呼び込んでは外気温の低さを伝えてくる。

 簡素なベッドや机はあるものの古く汚れていて、およそ過ごしやすい環境ではない。牢なのだから当然か。

 白いワンピースドレスは逃げていく体温を保つ力を持っておらず、スラーは震える身体を抱き込んだ。

――たすけて。

 苦しげな、それでいて寂しそうな呼び声が、再び頭の中で反響する。

 いつまで続くか分からない孤独と不安の暗闇の中でも正気を保っていられるのは、この声がスラーを求めて呼んでくれるからだった。

 グラッセが、飛竜たちを非情な手段で服従させている。

 だが完全に支配されたわけではないらしく、彼らと引き離されても不思議とお互いの意志は通じた。

 きっとスラーが指先から流すわずかな血の匂いを嗅ぎ取ってくれているのだろう。

 胸元の赤い痣――『血の盟約』の証は今やくっきりと視認できる。飛竜の切なる声が届くたび、ちくりと小さな痛みが生じた。

 昨夜、スラーをグランディオに連れてきたグラッセは、まるで汚いものを見るかのように蔑んだ視線をくれて、牢に放り込んだ。

 女性が食事を持ってきた以外で、その他はまだ誰の来訪もない。

 憎き兄――スラーにとっては父――の忘れ形見、始末しようと思えばすぐできるはずなのにそうしないのは何か意味があるのかもしれない。

 この状況下で、スラーの命の蝋燭をグラッセに握られていることだけは確かだった。


 ムジーク王国は、大丈夫だろうか。


 無我夢中で魔法を使い、かわいそうな飛竜たちを止めて、ここまで来た。

 別れを告げたことに後悔はない。――だが。

 目を閉じれば、瞼の裏に、こちらに向かって手を伸ばしているトーンの姿が浮かぶ。

 楽しかったこと、嬉しかったことはたくさんある。

 そんな思い出を全て塗り替えたのが最後に見た悲痛な表情であることに、ちくちくと胸が痛んだ。

 スラーの姿を目にすれば、グラッセはスラーのことを放っておかない――つまり、殺されるにしろ、連れて行かれるにしろ、あのままムジーク王国で過ごすことができなくなるというのは予想できた。

 グラッセの悪意からムジークとトーンを守るために、グラッセと共に行くしか選択肢はなかったのだ。

 亡き父の無念を晴らすためには、グラッセを玉座から引きずりおろすことができればと思う。

 だが、スラーひとりの力では実現できないであろうことも分かっていた。身体こそ大きくなったが知識が伴わず、策の一つも思いつかない。

 だから今ここでスラーにできるのは、飛竜たちの心を繋ぎ止め、悪用させないこと。

 グラッセの抱く悪意を、自分だけに集めること。

――そうして、大好きな人の国を、心を、もう二度と壊さないこと。

「だいじょうぶ……」

 心配する飛竜を労うように、あるいは自分に言い聞かせるようにそっと呟くと、スラーはベッドの隅で身体を丸めて目を閉じた。

 瞼の裏に、あの時の光景が蘇る。


   * * *

 

 震えが、止まらなかった。

「だいじょぶか?」

 姉のように慕っている彼女が持つ紅の髪より、もっとずっと濃い赤が、額を、頬を伝ってスラーの服にぽたぽたと落ちる。

 覆い被さる専属護衛の少女は、それでも笑顔を見せた。何の苦痛も感じさせずに。

 一瞬の出来事だった。食堂での夕食を終えて渡り廊下を移動している途中、大きな影が庭に降り立つのが見えた。

 それが何なのかを視認する前に、突然激しい衝撃を伴って屋根が崩れてきたのだ。

「フィーネさんも、無事か!」

「は、はい」

 少し離れたところから、砂埃を吸ったのか咳き込み混じりの返事が飛ぶ。

 走り寄ってきた世話係の侍女が、息を呑む音が聞こえた。

「ソファラ様……!」

「ごめ、ちょっと抜け出せない。スラーを頼むよ」

 声の調子がいつも通り快活なせいで、ソファラの怪我が深刻だと気づいたのは、スラーがフィーネに立たせてもらった後のことだった。

 後頭部からのおびただしい出血、そして両足はほとんど瓦礫に埋もれている。

 その瓦礫の大きさが、それ自体が持つ重量と、下にある足の状態を容易に想像できるもので。

「フィーネさん。アタシはへーきだから、スラーを連れて避難してくれ。広間まで行けば誘導してもらえると思う」

「い……いやだ、ソファラ姉さま!」

 しゃがみ込もうとするスラーの手を、フィーネが引く。

 どうしてこんな状態のソファラを置いていけるのか、とスラーは信じられない思いで侍女を凝視した。

 が、表情を見てすぐに察する。置いていきたいわけではないのだと。

 轟音を聞きつけ、近くまで人が来ている。金属音から騎士もいるだろう。

 こんなに重たい瓦礫をどけるには男手が必要で、スラーではどう頑張っても役には立てない。

 破壊音が続いているということは、さらなる崩落もあり得るだろう。

 今の状況で、スラーにできることなど一つしかない。

――護ってもらった身体で、安全な場所へと逃げること。

「ソファラ姉さま、ごめんなさい……!」

 スラーがそう言うと、今まで笑みを絶やさなかったソファラが初めて、泣きそうな顔をした。

「アタシの方こそ……ごめんな、ずっと護ってやれなくて」

「……!」

 言葉の選択を誤ったことに、今更気づく。

 謝るのは、許してほしいからだ。逆に謝らせてしまったことで、自分はソファラに対して許す許さないの感情をそもそも持たないと思い知る。

 伝えるべき言葉は、これだけ。

「……ありがとう……!」

 フィーネに肩を抱きかかえられて走り出しながら、振り返る。

 遠ざかる視界の隅で、ソファラがにかっと歯を見せて笑うのが見えた。

 

 正面玄関広間に辿り着く。夜のためか外に出ている人間は少なかったものの、それでもパニックは起きていた。

 開け放たれた玄関から、悲鳴を上げた人々が次々と王宮内に逃げ込んでくる。

――……たすけて。

 喧噪の中で、スラーの耳が小さな声を捉えた。

 いや、声というには明瞭で、耳に入ったというより直接頭の中に呼びかけられたような感覚だった。

「今、何か――」

「スラー様、お早く!」

 フィーネが、突然立ち止まったスラーを急かす。

 だがスラーは、影が縫い止められたかのようにその場を動くことができなかった。

 扉の向こう、美しかった庭を破壊しその中央に鎮座する、一体の巨大な竜の姿が見える。

 写真でしか見たことのない、かつて父ヴェルテが乗っていたという飛竜だった。

 スラーが祖国フェルマータにいた期間はごくわずかで、記憶の断片すら思い出せないのに、何故だか妙に懐かしい気がした。

――くるしい……たすけて。

 また、声が響く。

 今度ははっきりと出どころが分かった。草花を踏みにじり、炎で周囲を焼き払いながら、苦しさに身悶える飛竜の心だ。

 弱々しく、狂気の谷間で僅かに正気を取り戻した時に発する、縋るような声。

 果たして今の未熟なスラーで、蝕む狂気を抑え込むことができるだろうか。『血の盟約』の証である痣は、まだこんなに薄い。

 その背の上には男が一人立っていた。

 全てを見下すような表情と、傲慢な態度。国王を、スレイアを出せ、と声高に叫んで哄笑している。

 スラーの本名を知るあの男が誰なのかなど、考えるまでもなかった。

 スラーの生みの親を殺し、育ての親を死に追いやって、大好きな人の心を傷つけ、そして今、彼の大切なものを再び壊しに来たのだ。スラーを取り戻すために、フェルマータの象徴を利用して。

 そのどれもが、許せなかった。

 ソファラの怪我を知ったら、この惨状を目にしたら、あの人はどんなに辛い顔をするだろう。

 国王という立場も、身の危険も顧みず、飛竜を止めようと飛び出していくに違いない。

 大切なものを守るためなら、自分の痛みなど我慢してしまうような人だから。

 

 スラーは、本当に、ここにいてはいけなかったのだ。

 

「フィーネさん」

 意を決する。胸元の、痣のある部分を握り締めて。

「服を、貸してもらえませんか」

 侍女はスラーの急な頼みを訝しげな目で見つめたが、すぐに頷いて言った。

「……かしこまりました。どうかわたくしの部屋へ」

 逃げ惑う人の波を掻い潜って、王宮の裏側にある使用人居住区へと走る。

 とある部屋の扉を開けて二人で中に入ると、フィーネはすぐに大きな箱を取り出してきた。

「本当は、もう少し後にお見せするつもりだったのですけれど」

 机の上で蓋を開く。目に眩しいほどの白が飛び込んできた。

「きれい……」

 スラーは、さらりとした布地を手に取って広げる。

 レースが上品にあしらわれた、丈の長いワンピースドレスだった。

 背の高いフィーネが着ればさぞ美しいだろうと見惚(みと)れていると、横でくすりと笑う声がした。

「これは、わたくしのものではありません。スラー様のために仕立てたんですよ」

「えっ?」

 予想外のことを言われて、スラーは目を丸くする。

「スラー様が将来、この服が似合うような素敵な女性におなりになりますようにと」

「い、いいんですか?」

 フィーネは、にっこりと微笑む。

「えぇ、もちろん。――少し早いですけれど、お誕生日おめでとうございます」

「あ……!」

 スラーは服とフィーネの顔を何度も見比べる。

 もうすぐ十歳の誕生日。

 毎年ささやかなプレゼントを用意してくれたけれど、今年はこんな素敵なものを準備してくれていたなんて。

 感極まって思わず抱きついた。

「ありがとう、フィーネさん!」

 まぁ、と驚いた声を上げるフィーネだったが、優しい母のような手で頭を撫でてくれた。

 そしてゆっくりと身体を離すと、両肩を抱いてスラーの瞳を覗き込んだ。

「……スラー様のご覚悟、わたくしがお見届けいたしますから」

 これからスラーが何をしようとしているのか、フィーネにはお見通しなのだ。

 眉尻を下げた笑みを向けられて、スラーも鼻の奥がツンとする。

「えへへ……フィーネさんには、何でもわかっちゃうんですね」

「わたくしはスラー様がお生まれになった頃から、ずっとお側におりますからね」

 二人でふふっと笑い合う。

 早速、もらった服に着替える。

 どこもかしこもゆるゆるで、まるで真っ白なシーツを羽織っているかのようだった。

 この服が似合うような大人になりたい、と強く願う。

 フィーネが部屋の隅へと下がり、スラーは中央に立った。

 あらかじめ準備していた紙を手に取り、書かれている文字を黙読する。

 この方法の危険性は、昼間にとっくり説明された。

 自分をもっと大事にしろと説得もされた。

 使ってしまったら、もう元には戻れない。

 死に至る可能性だってある。

 二度と、あの人に会えなくなるかもしれない。

 だけど、それでも。

 あの人をこれ以上悲しませるのは、もう嫌だった。

 助けを求める声にも、応えてあげたい。

 自分にできることがあるなら、自分にしかできないことなら、命を賭してでもやるべきだと、そう思った。

 呪文となる精霊語はたくさん勉強して覚えたし、内容もたくさん考えて結論を出した。

 精霊と仲良くなる努力もしてきた。

 嫌いな野菜を頑張って食べて、魔力の器たるフォルスも十分大きくなった。

 あと必要なのは、勇気だけだ。

「……大丈夫」

 自分に言い聞かせるように呟き、スラーはゆっくりと息を吐く。

 間違えないよう一字一句しっかりと見つめながら、口を開いた。

 

《時の精霊さん。スラーの時間を八年進めてください》


 時の精霊語を唱え終わり、魔力がぐぐっと吸われる感覚があって、すぐのことだった。

 身体がまばゆいばかりの光に包まれる。

 目を開けていられなくて固く瞑ったと同時、身体の感覚がなくなって、立っているのか寝ているのかも分からなくなり、時間の感覚さえ失われ、最後は意識まで白濁に飲み込まれた。

 遥かな時を越えた一瞬。

 光が収まる。

 心臓が動くのを感じる。

 浅く呼吸をする。

 皮膚感覚が戻ってきて、スラーは自分がちゃんと生きていることを感じた。

 瞼をゆっくりと押し上げる。

 最初に目に入ったのは髪だった。さらりとした栗色のカーテンが視界を遮っている。

 それをどけるために動かした手が、今までと明らかに違う造形を見せつけた。

 細く華奢な指先。長く白い腕。余っていた袖口は誂えたようにぴったりだった。

 立ち上がれば視界は高く、同じ部屋が小さく見える。

 引きずるほどだったスカートの裾も、今や膝下でふわりと揺れていた。


――かつて憧憬に焦がれた、大人の身体がそこにあった。


「スラー様……!」

 感極まった声が背後から聞こえて振り返る。

 フィーネが瞳を潤ませ、今にも泣き出しそうに口元を押さえていた。

「フィーネさん。スラー、どこも変じゃないですか?」

 発した音が少し低くて、別人が喋ったような錯覚に陥る。

 だが確かに喉を震わせて、スラーの意志で出した声だ。

「もちろんです……! お美しゅうございますよ」

 侍女は目元を拭うと、スラーに近づいて服の形を整えてくれた。

 髪が伸びたせいでほどけてしまったリボンを拾い、大事そうに手で包み込む。

「前髪、お切りしましょうか。陛下もきっと、スラー様のお顔が見たいとお思いになるでしょうから」

 その言葉に、スラーは頬が熱くなるのを感じた。

 鋏がちょきちょきと小気味良い音を立てて、髪を切り落としていく。

 はらはらと顔の表面を滑り落ちる感触をくすぐったく思いながら、目を閉じたまま呟いた。

「今のスラーなら、グラッセ叔父さまを止められるかな」

 フィーネからの返答はなく、鋏の動きも止まらない。

 スラーは独り言を続ける。

「トーン兄さまを――みんなを、助けられるかな」

「……えぇ、きっと」

 次に耳に届いた声は、湿っていた。

「さぁ、仕上がりましたよ」

 鼻についた髪を払ってもらい、目を開けて鏡の前に立つ。

 そこには目鼻立ちのくっきりした女性が映っていた。

 今まで当たり前に見てきた九歳の自分は、もはや面影としてうっすらと残っているばかりである。

 スラーは、にこっと笑ってみた。鏡の中の女性も笑った。

「あのねフィーネさん。スラー、決めたんです」

 返事の代わりに、すすり泣く音が返る。

「もう、逃げない。――子供みたいに泣いたりしないって」

 あぁ……と嘆くような声と共に、フィーネがその場へ崩れ落ちた。

 スラーはその肩を優しく撫で、

「今まで、お世話になりました。スラーをムジークまで連れて来てくれたこと、感謝してもしきれません」

 顔を覆ったまま首を横に振る侍女に微笑みかけて、立ち上がる。

「そろそろ行きますね。どうかこのまま隠れていてください。いつまでも一緒にいたら、寂しくて離れたくなくなっちゃうから……」

 肩から手を離し、立ち上がる。

 そのままそっと部屋を出て扉を閉めると、中から悲しげな声が聞こえてきた。

 つられて泣きそうになるのをぐっとこらえる。今しがた、泣かないと宣言したばかりなのだから。

 玄関広間へと戻る。

 飛竜の攻撃による振動が止んでいた代わりに、避難すべき人々のざわめきが周囲を満たしていた。

 人の間を縫うように歩いて外を見れば、その理由はすぐに分かった。


「――俺の半身に等しいこの国を、貴様などに渡してなるものか!!」

 大好きな声が、凛と轟く。


――あぁ、やはりあの人は、大事なもののためなら身を呈して守ろうとするのだ。

 それがどんなに危険であろうと。そんな彼だからこそ、好きになったのだ。

 スラーは胸元を押さえ目を閉じて、深呼吸した。

 かすかに届く、飛竜の苦悶の声。

 灼熱の炎に対峙する(まばゆ)い雷の閃光が、周囲のどよめきを強くする。

 ガラスの欠片を拾い、指先に傷をつけた。

 溢れてくる赤い血が、彼我を繋ぐ絆となりますように、と祈りを込めて。

 痛みは感じない。あの人が今感じている心の痛みに比べたら何のことはない。

 キッと正面を見据え、一歩を踏み出す。

 怖くなどない。心の奥底からあの人を助けたいという気持ちが、勇気を運んでくる。

 息を吸い込んで、叫んだ。


「――やめてください!!」

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