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花の姉妹

「スラー、遠乗り行こう!」

 ばぁん! と大きな音を立てて開いた扉に、スラーは肩をびくっとさせた。

 息を切らしながらも満面の笑みを浮かべて立っていた専属護衛の少女が、開口一番叫ぶ。

「ああん、もうっ!」

 部屋の主であるスラーの背後で、間髪入れずに苛立たしげな声が響く。

 教育係であるレミーが髪結いの練習をしたいと言うのでスラーは頭を貸していたのだが、突然の騒音で手元が狂ってしまったらしい。

「ソファラ、帰ってくるならノックくらいしなさいよね」

「ごめんごめん、レミねぇもいたなんて知らなくて」

「……わたしがいてもいなくても、普通ノックはするものなのよ?」

 呆れ声と共に、髪が再び(くしけず)られる。

 頭皮が軽く引かれる刺激と優しい手つきに心地よさを感じながら、スラーは視線だけを扉へと向けた。

「おかえりなさい、ソファラ姉さま」

「ただいま! なぁなぁ、行こうよ遠乗りー」

 ソファラはそこまで遠くない距離を駆け足で近寄って、スラーが座る椅子の脇にしゃがみ込んだ。

 覗き込んでくる青い瞳が、きらきらと輝いている。

「初めての遠征で、何かいいもの見つけたの?」

 レミーが問いかければ、肯定の頷きと共に赤いポニーテールが揺れた。

 ソファラが所属するムジーク王国騎士団は、二ヶ月に一度のペースで国境遠征を行っているのだが、王族の身辺警護をする近衛騎士隊にその任はなく、入団から一足飛びで近衛騎士隊に配属されたソファラもこれまで一度も参加したことがなかった。

 十五歳になったのを機に、経験を積むため今回の遠征への参加を許可されたのだった。

 時刻からして、帰還直後にまっすぐこの部屋へと駆けてきたのだろう。

 興奮冷めやらぬといった様子で、ソファラは大袈裟な身振りを添えて口を開いた。

「移動の休憩中にちょっと探検してたら、めちゃめちゃ綺麗な花畑があったんだ! シドにぃの庭にも負けないくらい!」

「えっ、本当ですか?」

 スラーは瞳を瞬かせた。

 宮廷庭師のシドが作り上げる庭は美しいと評価が高いことは知っている。

 あんな綺麗な庭にも負けない花畑が自然に存在するなど、俄かには信じがたい。

「探検ってアンタねぇ。そんな勝手なことして、怒られなかったの?」

「シャープにぃのゲンコツもらった!」

「やっぱり……」

 レミーの疲れた溜め息は、ソファラを監督する騎士団長シャープへの同情にも聞こえた。

 スラーはまったく反省する素振りを見せないソファラに苦笑しつつ、彼女の言う『めちゃめちゃ綺麗な花畑』に思いを馳せた。


 スラーは花が大好きだ。見るだけで心が癒されるから。

 散策していいのは王宮の周辺のみだと、先代の王と約束した。

 王が代替わりした今でも、遠くへ行く際には馬車と護衛が用意されてしまう。

 まだ八歳のスラーを危険から守るためだとわかっているから、そのことに対して不満をスラーが口にしたことはない。

 だが心の奥では、王宮の外の世界を自分の足で歩くことへ憧れを抱いていた。

 自由気ままに咲く花たちに囲まれてみたい。

 花を摘んで、可愛い冠を作ってみたい。

 広い花畑に寝転んでみたい。これはちょっとお行儀が悪いかもしれないけれど。

 いろいろと想像するだけで、わくわくっ、と胸が躍る。

――でも。


「あの、スラーが勝手にお外へ行ってもいいんでしょうか。その……護衛さんとか……」

 約束を破る勇気がなくて、スラーは眉を下げた。

 たくさんの人に迷惑をかけはしないか、どうしても心に歯止めがかかってしまう。

「勝手じゃないよー、アタシが誘ったんだし」

 あっけらかんと、ソファラ。

「前にさ、スラーがトーンにぃと遠乗りする約束したのに雨で流れちゃったことあっただろ。トーンにぃと二人で出かけていいんなら、アタシと二人で出かけたって大丈夫ってことじゃん?」

「国王陛下のお兄ちゃんとアンタとじゃ、『大丈夫』の説得力がだいぶ違うけどね」

 レミーはスラーの髪を解放すると、

「でも、どうしてもって言うなら、わたしもついてってあげる。わたしたち二人がいれば問題ないでしょってお兄ちゃんを説得するわ」

 もちろん嫌ならいいんだけど、と付け加えてスラーの顔を覗き込んできた。

 スラーはぶんぶんと首を横に振る。

 嫌なはずはない。約束を気にしなくていいのなら、行きたいに決まっている。

 二人の言葉に、甘えてしまってもいいのだろうか。

「レミー姉さま、ソファラ姉さま」

 少し迷い、胸の前で手を組んで、勇気を出しておねだりする。

「スラー、行ってみたいです……!」

 途端、姉のように慕っている二人の表情が花咲くようにほころんだ。


   * * *


 空は晴天。軽快な蹄の音が、高らかに響く。

 スラーは徒歩や馬車とは段違いの速さで流れていく景色を、ソファラの腕の中から眺めた。

 風が頬を撫で、可愛いリボンで結い直してもらった髪をなびかせる。

「お天気で良かったなー! 馬も気持ちよさそうだ」

 ソファラが心底楽しそうに言うので、スラーも一緒に笑った。

 今のスラーより少し小さい頃から騎士としての鍛錬を始めたソファラは、持ち前の運動神経で乗馬もお手の物だった。

 こうして二人乗りしていても恐怖を感じず、安心して身を委ねていられる。

 スラー自身がまだ一人では乗れないから、頼もしい姉が尚更格好良く見える。

 その時、後方を駆ける馬上からレミーが何かを叫んでいるのが聞こえて、スラーは首だけ振り返る。

 言葉としては聞き取れないが、どうやら怒っている様子だ。

「ソファラ姉さま、あの、もしかして速すぎるんじゃないでしょうか」

「ん? 怖いか?」

「ううん、スラーはへいきです。でも、レミー姉さま、場所知ってるのかな……?」

「あ」

 間の抜けた声で、ソファラは馬の速度を緩めた。

 それでやっと追いついてきたレミーが、不機嫌を露わにする。

「ちょっと、わたしを置いてかないでくれる!?」

「ごめん、忘れてた」

「忘れんな! ってか、アンタのごめんは軽すぎるのよ!」

「えーそっかなー? でも腹減ったし早く行こう」

「うぅ、まったく反省してないし」

 呆れた声は溜め息と共に風に流れ、二頭の馬は並んで駈歩する。

 途中、騎士団が遠征で休憩したという広場からゆるい山道に入り、馬をゆっくり歩かせながら登る。

 木々の新緑が鮮やかで、木漏れ日がキラキラと宝石のように輝いた。

「そろそろだぞ」

 ソファラが先を指し示す。道は大きく左に曲がって、山肌の向こうへと続いていた。

 スラーは胸がどきどきしてきた。

 一体どんな場所なのだろう。

 童話のお姫様が花畑で眠る場面がある絵本はお気に入りで、すりきれるほど読んだ。

 シドからは花の名前をたくさん教えてもらった。

 書庫で植物図鑑もいろいろ眺めた。

 スラーの中の知識と思い出を総動員して、めいっぱい想像力を膨らませる。

 小道を進み、徐々に木が少なくなってくる。

 木々の切れ目から顔を出した太陽の眩しさに思わず目を細めたスラーだったが、まぶたを再びゆっくりと開けると――

 

「わぁ……っ」

――ようこそ、と声が聞こえた気がした。


 太陽の光に負けないくらい眩しくて鮮やかな色彩と、匂い立つ花々がスラーたちを出迎えてくれた。

 人の手で区切られ管理された花壇と違い――もちろんそれが悪いとは思わないけれど――自らの力でそこに根差し、風にそよそよとなびく姿は凛として、美しさを競っているようにも、お互いを褒め称え合っているようにも見える。

 ピンク、黄色、白、紫、水色。レミーの髪色の橙やソファラの赤と同じ色味の花、二色以上のグラデーションがかかった花、スラーが持っている絵具の色では言い表せられないほど深い色をした花もある。


 スラーの想像をはるかに超えた美しさが、そこにあった。


「ほら、降りて降りて」

 花畑の入口に馬を繋ぎながら、レミーが急かす。

 スラーはソファラに手伝ってもらって、花の中につま先を落とした。

 さわ、と葉が触れる感覚がくすぐったい。

「どう?」

 ソファラが得意げに尋ねてきたので、スラーは興奮を隠せないまま口を開く。

「めちゃめちゃ、綺麗です!」

「へへっ、そっか!」

 言葉を借りて伝えたのが面白かったのか、ソファラは満足そうに笑う。

「スラーはきっと喜んでくれるだろうなって思ったからね。誘って良かった!」

「ねぇ、せっかくだし、奥の方に行ってみましょうよ」

 お兄ちゃんから借りてきたの、と写真機を手にレミーが提案する。

 だが、スラーは足を動かせなかった。

 このまま歩いては、まっすぐ立っている花の根本を踏んで、きっと折れてしまう。

 花畑に寝転ぶなんて、もってのほかだ。

 どうしよう、と顔に書いてあったのかもしれない。レミーとソファラが顔を見合わせ、頷き合った。

「お花さんたちには、ちょっと避けててもらいましょうか」

「レミねぇとアタシふたり分の足跡くらいだったら、花も我慢してくれるよきっと」

「えっ?」

 ふたり分? と言葉の意味を考える前に、突如襲い来る浮遊感。ソファラがスラーを抱き上げて、にっと笑った。

《風よ、花の中に道を作って》

 レミーの魔法の言葉に従い、風の精霊がさあっと花をかき分けて細い小道を作る。

 よっ、と軽い足取りで、ソファラが花の間を進んでいく。

 その感覚はまるで、花畑の上を飛んでいるようで。

「すごい……!」

 スラーは何故だか泣きたくなった。

 自然の花が作り出す美しい光景と、それを極力踏み躙らないでいてくれる二人の優しさが嬉しかったのだ。

 少しだけまばらに咲く場所を見つけ、スラーはゆっくりと下ろされた。

 風が止むと同時に小道も消えて、三百六十度を色とりどりの花に囲まれる。

 スラーは、大きく深呼吸をした。花の香りが体中を駆け巡る。

 何という解放感だろう。

 ずっと王宮の近くだけで過ごしてきたスラーにとって、初めての秘密のお出かけがこんな素敵な場所だなんて、うきうきする心が止まらない。

 寝転ぶことはできないし、摘んでしまうのも可哀想――出かける前にやりたいと思っていたことはひとつしか叶いそうになかったが、そのひとつだけで、スラーの気持ちは十二分に満たされた。


「連れてきてくれてありがとうございます、レミー姉さま、ソファラ姉さま!」


 笑顔で感謝を伝えると、ソファラは頭を撫でてくれて、レミーは「かわいいっ」と言いながら抱きしめてくれた。


   * * *


 結局、お弁当は花畑の入口で食べ、眺めたり写生をしたり昼寝をしたりとめいめいに過ごし、花との時間を満喫して帰路に着いた。

 馬の揺れとソファラの体温が心地良くてつい眠ってしまったので、スラーは夢の中でも花畑の中にいる気分だったのをよく覚えている。

 花に囲まれて笑う三人の写真は、日記の間に挟んで大事にとってある。後日国王トーンの手にも渡って、毎夜毎晩飽きることなく眺められているという。

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