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国王と不吉の花

「どうしよう、トーン兄貴……おれ、死ぬのかも」

 どよんと生気のない顔で訴えてきた末の弟に、俺は一瞬かける言葉を失った。

 秋も深まる季節の、心地よい昼下がり。

 末の弟――宮廷庭師であるシドが整えた美しい庭を東屋から眺めながら、一人で紅茶と菓子を楽しんでいる時のことだった。

 突然息も絶え絶えな様子で飛び込んできた人影があって、驚いて抱き起こし、顔を覗き見たところ、それは泥まみれになって青ざめるシドだった。そこで発したのが冒頭の言葉である。

 普段は人目を意識して、国王の俺に対し堅苦しい言葉遣いをしてくる弟だが、そんなことを取り繕う余裕もないらしい。

「と、とにかく座れ。汚れとか気にしなくていいから」

 俺より大きくなった身体を何とか支えて、向かいの椅子に座らせる。

 ぐったりと背もたれに身体を預け、うなだれるシド。

「どうした、何があったんだ。話せる範囲でいい、教えてくれ」

 愛する弟に「死ぬかもしれない」などと言われては俺も胸中穏やかではない。

 しゃがんで顔を覗き込みながら尋ねると、シドは答える代わりに手を持ち上げた。ゆるく震える手に、握られていたのは。

「クロス・コスモス?」

 うん、とシドが小さく頷く。

 クロス・コスモスは、黄と橙がそれぞれ十字に重なったように色が分かれるコスモスで、ムジーク王国の国花だ。

 主な開花時期は秋、まさに今である。

 甘く芳醇な香りは国内外に有名で、国章にもモチーフとして使われている。

「この花が、どうかした――……ん?」

 問う前に、俺自身も気がついた。このクロス・コスモスに生じる違和感に。

「花弁が……九枚、ある」

「そうなんだ」

 シドはもう一度、今度は真剣な目で、頷いた。

「厳密な花弁の枚数は難しい話になっちゃうから今は置いとくけど、この大きな花弁――舌状花は、基本的に八枚のはずでさ」

 もちろんコスモスの品種によって枚数は違ってくるのだろうが、ことクロス・コスモスに関しては『花弁は八枚』が一般常識だ。でないと十字に色分かれできないことになる。

 だが現に、今シドの手に握られている花は、橙が一枚多い九枚の花弁を揺らしていた。

「知ってる? 九枚花弁のクロス・コスモスにまつわる話」

 いや、と首を横に振ってみせる。

 シドはまるで怪談話でもするかのように、おどろおどろしく話を切り出した。

「八枚花弁のクロス・コスモスは、花言葉も示す通り『平和』と『安定』の象徴なんだよ。黄色と橙色、同じ枚数が交互に並ぶからこそ、均衡は保たれてる。それがたった一枚増えただけで力のバランスが崩れてしまうんだ。――だから、九枚花弁の花を見つけてしまった人には、不運の女神が舞い降りるって言われててね」

「不運……」

「おれも迷信だと思ってたんだ。……だけど」

 手元の花を見つめ、大きく溜め息をつく。

「九枚なんて初めて見たから嬉しくなっちゃって、勢いで手折(たお)ったのが不運の始まり。花畑を出た途端に犬の糞を踏んづけて――まぁ普段から牛糞や馬糞を踏んでるから別にそこまで気にしてないんだけど」

「いや気にしろ」

「それで滑って後ろに転んで花を何本か折っちゃった上に、ちょうど近くを飛んでた越冬場所探し中の蜂を刺激しちゃってめちゃくちゃ襲われて」

「だ、大丈夫だったのか」

「走って逃げたはいいんだけど、何故かおれの移動先を狙い澄ましたように鳥の糞が落ちてきてさぁ。それも一回や二回じゃないんだよ」

「踏んだり蹴ったりだな、フンだけに」

「くだらないこと言ってないで聞いてよ。一旦帰ってシャワーを浴びたら熱の精霊が機嫌悪かったみたいで水しか出てこなくて、風邪引くかと思ったし。気を取り直して畑に行って根菜を抜こうとしたら、上の葉っぱだけ千切れちゃってまた土の上に転がる羽目になって、仕方ないから全部手で掘り出して」

「それはご苦労だったな」

「収穫した野菜を運んでたら、一個転がり落ちた芋に気づかず踏んで転んで、勢いで放り投げちゃったカゴから土まみれの野菜が全部おれ目がけて降ってきたんだ。おれの野菜、自慢じゃないけど水分と栄養たっぷりだから、ホント痛かったー」

「……はぁ」

 それでこの、泥まみれ状態の出来上がり、というわけか。

「その間、おれの作業鞄の中にずっとこの花が入ってたんだよ。ここまで不運が続くと、もしかしたら言い伝えは本当なのかも……って思って」

 シドの手の中で風に揺れる九枚花弁。

 いくら鞄の中に入っていたとはいえ、持ち主がこれだけ酷い目に遭っているのにどこも折れたりせず、まったく無傷なのが逆に怖い。

 まぁ、国花として長い間人々に親しまれてきた花だけに、精霊の力の影響とかでそんな魔力が宿っていても不思議はない気はするが。

「しかし、不運なのは確かだろうが、死ぬほどのことではないのでは……」

「いやいやトーン兄貴、甘いよ」

 拳をぎゅっと握りしめ、シドは熱く語る。

「今はこんなもんで済んでるけど、これがどんどん大きな不運に発展して、果てはこの国を滅ぼすことに繋がりかねないんだよ!」

「ええー……?」

 俺の口から、懐疑心を目一杯込めた声が出た。

 そもそも不運の元凶が本当にこのクロス・コスモスなのか、真偽すら定かでないというのに、花一輪で国家が傾くというのは、さすがに話が飛躍しすぎではなかろうか。というか国王である俺がそんなことさせない。

 むしろ、弟を不運から守り、国花に着せられた不名誉を払拭するのが、俺の役目なのかもしれない。

 そう思い直した俺は顔を引き締め、シドの目を見て頷いた。

「よし、分かった。この後どんな不運がお前を襲おうとも、俺が必ず護ってみせる」

「……ホントに? 平気?」

 不安そうに眉を下げる弟の手の上に、手を重ねる。

「きっと何とかなるさ。俺と一緒に、精霊の加護を信じよう」

「肝心なトコ他人(精霊)任せなのが気になる」

 俺だって、ここは『俺を信じろ』とかカッコイイことを言い切ってみたい。

 だが、相手は超常現象である。どこまで俺個人の力が通用することやら。

「ひとまず、不運がこの花によるものかどうかを見極めなくてはな。この後も不自然に続くようだったら、疑ってみてもいいかもしれん」

 そう言って俺は立ち上がり、シドの手から問題の九枚花弁クロス・コスモス――長いから『ククロス』とでも呼ぶことにする――を受け取った。

 あらゆる角度から眺めてみるが、花弁が一枚多い以外にこれといっておかしなところはない。

「ふむ……茎も葉も普通だな」

 飲みさしの紅茶を片づけようとティーカップに手を伸ばす。

 取っ手を掴んで持ち上げた瞬間、ぱきっと変な音がして本体と取っ手が泣き別れた。

 まだ冷めきっていない中身が、勢いよく俺の腿にかかる。

「あっっづァ!?」

「わぁあ! 大丈夫!?」

 シドが慌てて水と熱の精霊語を唱え、服の上から冷やしてくれた。

 大袈裟に騒いでしまったが、俺は基本的に猫舌なので、ある程度冷ましてから飲む習慣が不幸中の幸いとなり、火傷には至らなかったようだ。

「あ、ありがとう、シド。……しかし」

「うん……早速、だね」

 二人でごくりと喉を鳴らし、真剣な眼差しを手元の花に向ける。

 ククロスは、素知らぬ顔(?)で流れる風に身を委ねていた。

 そしてこれは、悪夢の幕開け――単なる序章に過ぎないのだった。



 そこからは、惨憺たるありさまだった。

 東屋を出た途端、先程まで晴れていたのに突然局地的な大雨が降りだした。

 上から誰かがバケツの水を捨てたのではないかと錯覚したほどだ。当然ながら庭の中にある東屋の上には誰もいないわけだが。

 元々紅茶(とそれを冷やす水)を浴びていたため、雨に濡れることに関しては今更という感じだったが、季節が季節だけに風邪を引いてはいけない。

 急ぎ王宮に戻ろうとしたところ、注意喚起の叫び声が耳を貫いた。

 振り返ると、声がした方角から、見習い騎士の制御を失った暴れ馬がこちらへ向かって猛烈に走ってきていた。

 俺はシドを突き飛ばし、共に横へと避けた――はずだったのに、何故かターンして戻ってきた馬に俺だけ轢かれて水溜まりに顔を埋める羽目になった。

 轢かれたと言っても、奇跡的に俺の身体の両側面を蹄が踏んでいったので、怪我らしい怪我はしなかったのだが。

 しまいには、シドに助け起こされて泥にまみれたマントを引きずりながら歩いているだけで、何もないところで滑って噴水にダイブする始末。

 何なんだ、水難の相でも出ているのか俺は。

 さすがに面白くなってきて、噴水の中を歩いてみた。泥汚れも落ちて丁度良いじゃないかははは。

「トーン兄貴……やっぱり、絶対それヤバイって……!」

 狂ったように噴水で遊ぶ俺を、疲れた顔で見つめるシド。

 相変わらず、ククロスは俺の手の中で萎れもせずピンピンしている。

 陛下がご乱心だ、早くフラット殿下を呼べ、と人々が集まってきて声高に叫ぶ。

 騒然とした雰囲気の中、傘をさした男がスッと一歩前に出た。

「……何やってんのさ」

 氷柱のように鋭く冷たい声が、皆の鼓膜を刺してきた。

 俺の弟でシドの兄でもある、ムジーク王家四男ヘオンの登場だ。

「ヘ、ヘオン兄貴、助けてー!」

 ずぶ濡れで飛びつくシドをサッと避けて――濡れたくないのだろう――ヘオンは視線だけで状況を問うた。

 シドが、こうなるに至った原因と経緯をかいつまんで話す。内容を理解するや否や、

「アホらし」

 たった一言、吐き捨てて。

「一枚多いんなら、抜いちゃえば」

 何だかんだと助言をしてくれた。

 はた、と顔を見合わせる俺とシド。

 シドは恐る恐る手を伸ばすと、俺が持つククロスの、隣り合う橙色の花弁を片方つまんで引っ張った。ぷつん、と小気味良い音と共に、花弁が離れる。


――その途端、暗雲が晴れた。嘘みたいに。


「……冗談だろ……?」

 呆然としたシドの呟きが、雨の上がった虚空に響く。

 誰もが、水溜まりに映る美しい青空と、噴水の中に佇む俺を交互に見ていた。

 恐らくとても、清々しく滑稽だ。

「君たちは、選ばれたんだよ」

 傘を閉じながら、ヘオン。

「精霊たちの、遊び相手にね」



 その晩、俺が熱を出して寝込んだことは、言うまでもない。

 もし今後、花弁が九枚のクロス・コスモスを発見したら、それは精霊のイタズラだ。

 いきなり摘んだりせずに花弁を一枚抜くこと。

 いいな、俺との約束だぞ。

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