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国王と七音の旋律 ~ムジーク王国記~  作者: 卯月慧
第九話 国王と別離への序曲
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国王と別離への序曲(2)

 部屋に招き入れたシドは、小さな袋を手にしていた。

 何やら急いでいるのか茶を断られたので、先程までフラットがいた椅子に座るよう促し、俺も元の位置に戻る。

「急にごめんね。もしかしたらって思ったら、いても立ってもいられなくなって」

「いや、構わん。何かあったか」

 うん、と頷いて、シドが袋の中身を長机に開ける。

 ころんと出てきたのは薔薇に似た八重咲きの赤い花と、赤子の拳大ほどの歪な形をした濃い赤の実だった。

「綺麗だな」

 ばらばらになっている花弁をひとつまみして部屋の光に透かす。

 肉厚で瑞々しく、群生していたらさぞ目を惹くだろうな、と思う。

「新しい品種の花を開発したのか?」

「ううん、違うんだ」

 否定する弟の顔が暗い。

 確かに、新種の発見や、開発に成功したとかならもっと喜んで報告に来るはずだしな。

「……おれの思い違いならそれでいいんだけど」

 前置いて、躊躇いがちに口を開く。

「これはパシオネといって、とある寒い国で咲いてる花なんだ。現地では花びらを炒って乾燥させて香辛料として使うらしいんだけど。どんな類の辛み成分かなと思って、帰ってからウチの研究者に調べてもらったら、ちょっと厄介なものが見つかってね」

「厄介なもの?」

「うん。――陶酔系の麻薬成分」

 ふむ、と改めて花弁を見る。

 薬物依存に関しては、国際的に既知の薬物は取り締まりの対象になっているので国内ではそれほど深刻な被害はない、と報告を受けている。そもそもムジークには原料となる植物が自生していないのもあるが。

「では、この花も密輸されないよう監視リストに加えるか」

「あぁそうだね、そうしてもらえると嬉しい」

「いや待てよ、今お前が持っているということは、既に密輸ルートが存在しているのか」

「生の状態だと日持ちしないし、香辛料としても国内では見たことないから、それはないはずなんだけど……おれが気になってるのはそこじゃないんだ」

 そう言って口ごもるシド。

 植物のことになると饒舌な男なのに、珍しく歯切れが悪い。

 俺の顔色を窺っているように見えて、首を傾げる。

「何だ。怒らないから言ってみろ」

 ううう、と低く呻いてから、シドは観念したように告げた。


「……これ、実はグランディオでこっそり摘んできた花でさ」

「なっ……!?」


 その名を聞いた途端、俺の中で瞬間的に何かが燃え上がる。

「馬鹿、お前何でそんな危険なところに行ったんだ!」

「お、怒んないって言ったじゃん!」

「む……すまん」

 衝動的に立ち上がってしまったが、怯える小動物のような目をした弟を前にして炎は鎮火した。

 すとんと椅子に戻って、咳払いをひとつ。

「遠出していると聞いてはいたが、まさかグランディオとはな」

「ごめん。スラーの誕生日に祖国の綺麗な花を見せてあげたくてさ。……お父さんたちがあんな目に遭った場所だし、トーン兄貴には言えなくて」

「気遣ってもらうのは結構だが、それでお前に何かあったら俺がどう思うのかくらいは想像してくれ」

「うん……本当にごめん」

 しゅんとしてしまったシドを慰めるように、続きを促す。

「で、グランディオはこの花を何かに利用しようとしているのか」

 居住まいを正したシドは、赤い花を手に取る。

「パシオネは『奇跡の花』って呼ばれてる。雪山で遭難中に生の花を齧ると、身体を温めて不安を取り除いてくれるおかげで生還率が上がることから来てるんだって」

 続けて、実の方をつまみ上げる。

「調べた結果、炒った花、生の花、実の順で麻薬成分が強くなっていくことが分かった。現地の人たちは基本的に炒って使うから、そこまで依存性は出てないみたいだけど……最近この花を、国が主体で栽培し始めたらしいんだ。民に育てさせて、品種改良のために実を回収し、種を取り出して再分配する」

 シドは、目の前で実を割ってみせた。

 花に対して瑞々しさはなく、スポンジのような白い果肉に黒い種がずらりと並んでいる。

「種なんてこんなに簡単に取れるんだから、品種改良の名目で国が一度回収なんかしなくたって、みんなに任せておけばきっともっと良いように育ててくれるよ。だって実際に手をかけてる人たちの方が、より育てやすく、より品質の良いものを作りたい欲望が強いはずだもん」

「つまり、実を回収すること自体に何らかの意図がある、と?」

 多分ね、とシド。

「さっきも言った通り、実の麻薬成分が一番強い。これは人間が摂取するにはかなり危険な濃度。現地の人は動物が忌避するのを見てるし、あまりの辛さとマズさが有名なおかげか、麻薬植物としては知られていないみたい」

「実から効率よく成分を取り出して秘密裏に薬物を大量生産する、国家ぐるみの目論みかもしれんな」

 俺の言葉にシドは俯き、膝の上で拳を握る。

「二年前、グランディオで起きたことをトーン兄貴が話してくれただろ。あの時もちょっと変だなって思ったんだ。皇帝は、正当な王様を革命で殺して王位を奪った人だし、国民からの評判もあんまり良くないって噂で聞いてたのに、何もしてないムジーク国王夫妻を殺せって命令に従う兵士がそんなにたくさんいるもんかなって」

「それは……確かに」

 俺は自然、苦い顔になる。

 またここで過去の記憶を引きずり出すことになるとは思わなかった。

 言われてみれば、二年前のグランディオの兵士たちはやけに従順で、戸惑う素振りすら見せなかったように思う。

 俺たちが城内に通された時に感じた、まとわりつくような殺気もそうだ。

 グラッセの言い分はかなり自分勝手なものだったが、その主張を一点の曇りもなく信じて疑わず、命令を行動に移す非情さがあった。

 だからこそ父は、俺とシャープを無事逃がすために兵士たちを引きつけてから橋を落とし、多数の犠牲者を出したのだ。

 民を思う立場にあった父のこと、きっと苦渋の決断だったに違いない。

「だからもしかしたら、二年前には既にこの花の依存性を使って兵士たちを意のままに操っていたのかも。グランディオはもう薬漬けなのかもしれない――って思って」

「……なるほど、分かった」

 頷き、再び机の上に視線を落とした。

 雪国に咲く赤い花。

 血を思わせるその色は、両親がかの地で命を散らした光景を思わせて心拍数が上がる。

 そして今もなお多数のグランディオ国民の体と心を蝕み、新たな血を流させようとしている。

 あれから二年が経った。

 国境に騎士団の駐留を命じてグランディオからの民の流入を厳しく見張らせているものの、戦力が整うだけの十分な時間が経った今、ますます油断するわけにはいかないということだ。

 それが推測に基づく予感に過ぎなくとも、警戒に足る事態であることは確かだった。

 万が一にも、ムジーク国民を危険に晒すことがあってはならない。


「他にも、グランディオを直接見てきて何か気になることがあったら聞かせてほしい」

「気になること、かぁ……。あ、そういえば」

 何かを思い出すように考え込むシド。

 俺は何故か喉がカラカラに渇いていたので、自分用の冷たい紅茶を淹れるついでに弟にも出してやった。

 慌てて腰を浮かすシドを片手で制し、続きを促す。

「帰り際にね、聞こえたんだ。声が」

「声?」

「うん。――飛竜の」

 それを聞いて、どきりとした。

 先日見た、スラーの痣のことを思い出したのだ。

 フェルマータ王国の象徴である飛竜。フェルマータ王家の者は霊峰フェルメトで繁殖する飛竜の巣へ血を捧げに行き、盟約を結ぶという。

 先の革命の折、ヴェルテ国王が乗る飛竜は国王自ら始末したと、直接見たらしいルグレから聞いていた。

 だがそれはあくまでフェルマータ城で管理されていた飛竜の話。巣にはまだ野生の個体や卵が残っていたとしても不思議ではない。

「山の方から雷みたいな音がしたんだけど、真冬で極寒のグランディオでは雷の精霊なんてほとんどいないはずでさ。おれが覚えてた飛竜の声と似てたから、もしかしたら、くらいなんだけど」

「確かに、飛竜がいないとは断言できないだろうな。グランディオがフェルマータから引き継いだ飛竜を有しているという話は聞かないが、仮にまだ生きているのなら、グラッセが何故乗らないのかが気になる」

「……乗れない、のかもね」

 シドの呟きを否定せず、頷く。

 革命で成り上がったとはいえ、国王の弟はれっきとした王家の血筋だ。

 正確な儀式の方法など、他国のしきたりについては知る由もないが、少なくとも今までは何らかの理由があって飛竜の存在を隠してきたのだろう。

 そして、成長したスラーの身体に現れた『血の盟約』の痣。

 飛竜という利用価値のある存在がもし今も残っていたなら、そしてグラッセにはそれを操れない事情があるとしたら。

 スラーの存在そのものが――『血の盟約』それ自体が――グラッセの復讐にとって必要不可欠なのだとしたら。様々な可能性が脳裏を()ぎる。

 民を操る薬、そして飛竜の秘匿。

 もしこれらの疑惑が本当だとして、国を守る立場にある者が平然とやってのけることが俺には俄かに信じがたい。

 国王や皇帝は、民が暮らしやすく、より良い国を作るために在るのではないのだろうか。

 グランディオの民は、本当にそれで幸せなのだろうか。

「眉間にシワ寄ってるよ」

 言われて、グラスの中の紅茶を覗き込む。そこには渋い表情の俺が映っていた。

 思い起こせばここ数日、ずっと何かに悩んで考えていた気がする。

 癖になってはいかん、と眉間を揉みほぐして、苦笑した。

「ともかく、今後のグランディオの動きには注意する必要がありそうだ。シド、有益な情報をありがとう」

「どういたしまして。怒られた甲斐があったってもんだよ」

「まったく、次からは一人で行こうとするんじゃないぞ」

 へらっと笑うシドに釘を刺して、紅茶を一気に飲み干す。

 シドも同じタイミングでグラスを空にすると、長机の上のパシオネを袋に戻しながら言った。

「おれももう少し、この花のことを調べてみるね。依存性を和らげる方法とか、あるかもしれないし」

「あぁ、よろしく頼む。現時点で分かっていることに関しては、検査結果を添えた報告書を作らせてくれ。後日の議題に挙げよう」

「承りました、陛下」

 立ち上がり慇懃に一礼して、シドは部屋を出ていった。


 重い腰を上げて執務机に着き、山積みになった書類を手に取って眺める。

 だが目は紙面を滑るばかりで、内容が一向に頭に入ってこない。

 時魔法のこと、麻薬植物のこと、飛竜のこと、そしてスラーのこと。暦を見れば、スラーの誕生日も間近に迫っていた。

 俺が一度に考えられる物事の許容量を明らかに超えている。

 心ここにあらずというのはこういうことか、と自覚しながら、意識を切り替えるため両頬を叩いた。

 他にもやるべきことは山ほどある。

 とりあえずグランディオや時魔法の件は報告を待つしかないし、まずは喫緊のものから片付けていかなければ、その後の身動きが取れなくなる。

 胸にわだかまる漠然とした不安を押しのけて、俺は『早急にお願いいたします』とメモのついた書類に手を伸ばした。



――そして、不安が現実になる瞬間は、予想以上に早く訪れた。

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