【雪に閉ざされた国で】
「ちょっと早かったかなぁ」
足元では雪が氷となってこびりつき、ぴゅうぴゅうと冷たい風が吹きすさぶ、寒色一面の岩地。
そんな氷点下の風景の中に、場違いなほど暢気な声が響いた。
フードの縁から見え隠れする前髪は、青々と茂る葉を思わせる深緑色。
ロイヤルブルーの瞳に映すのはひたすら白い地面。
時折足を滑らせて体勢を崩し、防寒具の着こなしに若干不慣れさが滲み出る。
スラッとした長身には程良く筋肉がついているものの、面差しには大人への成長途上な少年っぽさが残り、時折寒さで真っ赤になった鼻をすすりながら、それでも暖を取ろうとはせず何かを探し続けていた。
「せめて土でも見えればいいんだけど」
ざく、と足で地面を掘る。削れた氷の下から現れるのは硬い石ばかりだ。
たった一人で大した装備も持たずに外をうろうろする余所者らしき青年の姿を見かねたのか、近くを通りがかった住人が声をかけてきた。
何を探しているのかと問われた青年は、
「花を探してるんです。この国の固有種なら何でも――あ、もちろんできれば綺麗な方が嬉しいなぁ」
今は遠い国にいる女性に、彼女の生まれ故郷の花をプレゼントするのだ、と照れ隠しに頭を掻く。
それでわざわざ他国から花を摘みに来た青年の姿に、住人も心を動かされたようだ。
春はまだ遠いため、雪の中で花をつける植物の存在を教えてくれた。
曰く、雪山で迷った際にその赤い花弁を見つければ命が助かると言われており、古くから気付け薬や香辛料として親しまれてきたパシオネという植物らしい。
極端に低い温度下でしか成長しないことから育てるのは困難な奇跡の花と呼ばれていたが、最近になって国が研究を進め、人の手による栽培を始めたのだという。
「香辛料なのか……それにしては名前を聞かないな……」
小さく呟くと、案内のために先を歩いていた住人が振り返る。
何でもないです、と愛想笑いを返して、青年は住人の後を小走りについていった。
やがて辿り着いたのは、城壁の外に作られた畑だった。
自然の岩山の代わりに、堅牢な石造りの城壁にもたれかかるように蔓を伸ばしたパシオネは、確かに小さな赤い花をつけていた。
この花弁を口にするだけで身体が内側から燃えるように温かくなるし、香辛料としては軽く炒って乾燥させて粉にするんだ、と住人が説明した。
「これ、いただいちゃってもいいんですか? 大事に育ててるんでしょう?」
青年が申し訳なさそうに問うと、住人は大らかに笑って頷いた。
少しくらいなら構わない、一度食べると病みつきになるからきっと彼女さんも恋しいかもしれないよ、と。
「ありがとうございます!」
にこやかにお礼を言って、青年は花をいくつか摘み取った。
生花としては日持ちしないから早く帰った方がいいと心配する住人に、大丈夫です、と答える。
《おれが摘んだ花の時間を一ヶ月止めてくれ》
青年が呟いた言葉を聞き取れなかった様子で、住人が眉根を寄せた。
それを意に介さずサラサラと花を袋の中に入れると、ふと下の方にゴツゴツとした赤い実がなっているのを見つけた。
「こっちの実は食べられるのかな?」
住人は首を横に振る。美味しくない上に、身体を温める作用が強すぎて危険なのだとか。
実から取れる種を国が回収して品種改良研究ののち種は再分配されるため、献上する質の良い実以外は廃棄するのだという。
「そんなにマズイのか……食べてみたいな……。ねぇ、こっちの小さい実も貰っていってもいいですか?」
物好きだねぇ、と笑われながら、青年は掌に収まる大きさの実を二つ三つもぎ取った。
他国の人間が種子を持ち帰ることにこれほどまでに寛容なのは、この国の環境以外では育てられないという自負があるからだろう。それが青年にとっては好都合だ。
実にも同じ言葉をかけてから袋にしまう。
ここで畑の世話をしていくという住人にもう一度お礼を言って、青年はその場を後にした。
雪が降るそばから解けていくという不思議な街道を歩きながら、遠雷のような、何か低く轟くような音が聞こえた気がしてふと振り返る。
が、視界の中に変わった様子はない。
代わりに目に入った、ひときわ高い岩山をえぐるようにして立つ城は、逆に風の音の方が大きく聞こえるくらい静かだった。
自国のそれとは違う、温かみを感じない無機質な光景に身震いしたのは、寒さのせいだけではないだろう。
「……兄貴の作る国の方がよっぽど好きだな、おれは」
風にかき消された独り言は、誰の耳にも届くことはなかった。




